本郷、上野周辺の散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成25年2月3日(日)
文京区本駒込の目赤不動尊で参拝を終えた後、本郷から上野へと散策をしてきました。
散策地点は、根津神社→東大(構内一周)→湯島天満宮→昼食→不忍池→時の鐘(上野の山)と散策をしました。
(ウォーキングの軌跡)
今回の歩行距離は、10km以上(歩数計:21,869歩)歩きました。
【根津神社】
毎年四月から五月に開かれる「つつじまつり」で有名な神社です。
境内には、3000株のつつじが咲き乱れ、壮観な眺めになります。
【東京大学】
東大の構内見学は、少人数であれば自由に入って見ることができます。
構内は、かなり広くて、三四郎池周辺を含めてちょっとした散策(ウォーキング)が可能です。
東大と言えば、この赤門、国の重要文化財にも指定されている歴史的建造物です。
今日は、日曜日で学生もあまり見かけず、閑散とした感じの構内風景です。
構内には、多くの銀杏並木を見かけます。
「東大安田講堂事件」で記憶にある方も、多いでしょう。
安田講堂の脇にある楠の大木です。
枝の張り方が、半端じゃないです。
歴史的に古い建物が数多く残っています。
こちらは、東大附属病院棟の建物ですが、壁画が気になります。
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになりました。
「東京大学七徳堂」という名の武道所で、東京都選定歴史的建造物にもなっているそうです。
広くて綺麗な芝生のグラウンドです。
構内にあったマンホールの鉄蓋ですが、鍵形の様な、前方後円墳の様な、変わった形です。
【湯島天満宮】
湯島天満宮の梅まつりは、一週間後の2月8日から開催されますが、現在の梅の開花状況は、まだまだのようです。
何度か訪れていますが、今回は御朱印を頂きました。
合格祈願の御札を買う人も多く、受付所は、結構な人数でした。
【上野の山】
途中で昼食を食べて、不忍池に着いた所で、12時丁度になりました。
不忍池の弁天堂の方から、“ゴ~ン”という、“時の鐘”の音が聞こえてきます。
鐘の音の鳴る方に目をやると、上野精養軒の建物の右隣に、以前の散策で見つけることができなかった“時の鐘”が見えます。
今でも、この“時の鐘”は、使われているとのことです。
・
・
・
平成23年9月の散策同好会による、“神社・碑・歴史を巡る、しのばずコース”において、唯一見つけ出すことができなかった「時の鐘」です。
さっそく、上野精養軒の建物がある方向へと、歩いていきます。
今回もどうやら見落とした様です。…大きく一周した後に、元の地点に戻った所で見つけることができました。
なんだぁ、こんな所にあったのかぁ、という感想でした。
これで、“しのばずコース”17箇所の散策スポットを完結することができました。
都内には、まだ“時の鐘”が数カ所あるようです。
中央区日本橋小伝馬町にある“時の鐘”は、以前見たことがあります。
今度機会があったら、まだ見ていない“時の鐘”散策もいいかな。
文京区本駒込の目赤不動尊で参拝を終えた後、本郷から上野へと散策をしてきました。
散策地点は、根津神社→東大(構内一周)→湯島天満宮→昼食→不忍池→時の鐘(上野の山)と散策をしました。
(ウォーキングの軌跡)
今回の歩行距離は、10km以上(歩数計:21,869歩)歩きました。
【根津神社】
毎年四月から五月に開かれる「つつじまつり」で有名な神社です。
境内には、3000株のつつじが咲き乱れ、壮観な眺めになります。
【東京大学】
東大の構内見学は、少人数であれば自由に入って見ることができます。
構内は、かなり広くて、三四郎池周辺を含めてちょっとした散策(ウォーキング)が可能です。
東大と言えば、この赤門、国の重要文化財にも指定されている歴史的建造物です。
今日は、日曜日で学生もあまり見かけず、閑散とした感じの構内風景です。
構内には、多くの銀杏並木を見かけます。
「東大安田講堂事件」で記憶にある方も、多いでしょう。
安田講堂の脇にある楠の大木です。
枝の張り方が、半端じゃないです。
歴史的に古い建物が数多く残っています。
こちらは、東大附属病院棟の建物ですが、壁画が気になります。
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになりました。
「東京大学七徳堂」という名の武道所で、東京都選定歴史的建造物にもなっているそうです。
広くて綺麗な芝生のグラウンドです。
構内にあったマンホールの鉄蓋ですが、鍵形の様な、前方後円墳の様な、変わった形です。
【湯島天満宮】
湯島天満宮の梅まつりは、一週間後の2月8日から開催されますが、現在の梅の開花状況は、まだまだのようです。
何度か訪れていますが、今回は御朱印を頂きました。
合格祈願の御札を買う人も多く、受付所は、結構な人数でした。
【上野の山】
途中で昼食を食べて、不忍池に着いた所で、12時丁度になりました。
不忍池の弁天堂の方から、“ゴ~ン”という、“時の鐘”の音が聞こえてきます。
鐘の音の鳴る方に目をやると、上野精養軒の建物の右隣に、以前の散策で見つけることができなかった“時の鐘”が見えます。
今でも、この“時の鐘”は、使われているとのことです。
・
・
・
平成23年9月の散策同好会による、“神社・碑・歴史を巡る、しのばずコース”において、唯一見つけ出すことができなかった「時の鐘」です。
さっそく、上野精養軒の建物がある方向へと、歩いていきます。
今回もどうやら見落とした様です。…大きく一周した後に、元の地点に戻った所で見つけることができました。
なんだぁ、こんな所にあったのかぁ、という感想でした。
これで、“しのばずコース”17箇所の散策スポットを完結することができました。
都内には、まだ“時の鐘”が数カ所あるようです。
中央区日本橋小伝馬町にある“時の鐘”は、以前見たことがあります。
今度機会があったら、まだ見ていない“時の鐘”散策もいいかな。
西新井大師~竹の塚の散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成25年1月12日(土)
今日は、西新井大師から竹の塚までを散策してきました。
11.3kmの道のりを、約3時間かけて歩きました。
たくさん見所があって、ブログへの記録が容易じゃありません。
今回の散策ルートは、西新井大師→満願寺→猿仏塚(さるぼとけづか)→国土安穏寺(こくどあんのんじ)→栗原氷川神社→赤羽家長屋門→島根鷲神社→炎天寺→西光院→常楽寺→万福寺→竹の塚カリンロードと、寺社を主に散策しました。
①西新井大師
新入社員時代の約一年間は、ここから10分ほど離れた所に住んでおり何度か訪れているのですが、今までの記憶とは全く違っていた事に驚きです。
数十年という時間は、これほど人間の記憶を曖昧なものにするんだなぁ・・・。
かなり大きくて、歴史のある山門です。
浅草寺を思わせるような大本堂と多くの参拝者でした。
また、たくさんの屋台も出ており、縁日のような活気です。
境内の左奥には、大きな池と石橋。そして、弁天堂が建っています。
橋の欄干の文字が達筆すぎて読めずに、後で調べたら「大願成就橋」という橋の名前でした。
御朱印もいただきました。
②満願寺
たぬき塚の詳細は、不明です。
③猿仏塚
道路を挟んだ島根小学校の西側にひっそりとあります。
誤って死なせてしまった人間の赤ん坊の墓を、食事もとらずに死ぬまで守り続けた、賢い猿の悲しいお話です。
④国土安穏寺
お寺の前の歩道上で見かけた「パネル」です。
徳川将軍家の鷹狩りの様子を図案化した様です。
このお寺の境内は広く、また、見所もたくさんあります。
表から見た仁王門。
こちらは、裏側(境内の中)から見た仁王門です。
大きな「わらじ」だこと。
大きくて立派な本堂です。
第三代将軍「徳川家光公」が植えた松で、「五街道分間延絵図」に描かれているとのことです。
凄い松の木なんですね。
墓地の手前には、ユニークな小僧の石像が二体ありました。
「二宮尊徳」の様な像なのですが、ネットで調べても解りませんでした。
旧本堂で使われていた立派な「鬼瓦」です。
嶋根歌舞伎発祥公演之地
鎌倉幕府中期に日蓮宗を開いた僧の「日蓮上人」
こちらの銅像も大きいです。
鶴亀の庭
⑤栗原氷川神社
こちらの神社では、お参りのみ。
⑥赤羽家長屋門
江戸時代に名主を務めた牛込家の長屋門。
屋号を「金武(きんぶ)」と唱えていたことから、「金武屋敷の長屋門」とも呼ばれるそうです。
⑦島根鷲神社(しまね わしじんじゃ)
この神社の境内にも、見所がたくさんあります。
将軍石
島根村は徳川将軍家の鷹狩場であったため、この鷲神社にも歴代将軍が参詣に訪れていた様です。
この神社でも3代将軍の家光が松を植えたそうですが、何と枯れてしまったとか。
また、徳川吉宗が座ったという将軍石があります。
もちろん、説明書きの通りに座りましたが、昔では恐れ多くて座った日には、死罪かも?
すわり心地は、ちょっと固めです。
また、告知板の左端には、「賜 白銀十枚 六諭行儀大意」と書かれています。
この神社にあった寺子屋で、手習い教本に幕府の諸法度集が用いられているのを見て、祠官に褒美を賜ったということのようです。
境内の奥に、この様な像がありました。
本神社の御祭神の日本武尊〔やまとたけるのみこと〕の像でしょうか。
縁結びの樹〔愛染桂(あいぜん かつら)〕
重さ35トンの灯籠です。
本殿裏には高さ2mほどの富士塚もあります。
⑧炎天寺
このお寺は、江戸時代を代表する俳人の小林一茶と縁が深く、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」という俳句の通り、境内は蛙づくしなんです。
相撲を取っている蛙の後には、「蝉なく や 六月村の 炎天寺」という句碑があります。
こちら側には、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」の句碑があります。
左端で腕組みをしている蛙は、親方さんなのでしょうか?
こちらの蛙は、滝行を行なって悟りを開いているようです。
本堂の右端には、福蛙の石像があります。
横に回りこんで見てみると、子供の蛙をおんぶしています。
竹ノ塚駅近くの歩道上で見かけた、汚水マンホール蓋の図柄です。
こんな「パネル」も発見。
歩いた歩道上で蛙の図柄は、この一枚だけ。ラッキー。
他にも、違った図柄のパネルがありました。
⑨西光院
⑩常楽寺
⑪万福寺
明治九年四月、竹塚・島根・栗原村の子どもたちが学ぶ「竹嶋小学校」がこの寺に開設されたそうです。
寺子屋 竹嶋小学校跡の碑
12 竹の塚カリンロード
東武線「竹ノ塚駅」の東側にある商店街(カリンロード)の様子です。
お昼に食べたかったラーメン屋さんが、意外にも見かけませんでした。
今回の散策は、予想以上にたくさん面白いものが見られました。
今日は、西新井大師から竹の塚までを散策してきました。
11.3kmの道のりを、約3時間かけて歩きました。
たくさん見所があって、ブログへの記録が容易じゃありません。
今回の散策ルートは、西新井大師→満願寺→猿仏塚(さるぼとけづか)→国土安穏寺(こくどあんのんじ)→栗原氷川神社→赤羽家長屋門→島根鷲神社→炎天寺→西光院→常楽寺→万福寺→竹の塚カリンロードと、寺社を主に散策しました。
①西新井大師
新入社員時代の約一年間は、ここから10分ほど離れた所に住んでおり何度か訪れているのですが、今までの記憶とは全く違っていた事に驚きです。
数十年という時間は、これほど人間の記憶を曖昧なものにするんだなぁ・・・。
かなり大きくて、歴史のある山門です。
浅草寺を思わせるような大本堂と多くの参拝者でした。
また、たくさんの屋台も出ており、縁日のような活気です。
境内の左奥には、大きな池と石橋。そして、弁天堂が建っています。
橋の欄干の文字が達筆すぎて読めずに、後で調べたら「大願成就橋」という橋の名前でした。
御朱印もいただきました。
②満願寺
たぬき塚の詳細は、不明です。
③猿仏塚
道路を挟んだ島根小学校の西側にひっそりとあります。
誤って死なせてしまった人間の赤ん坊の墓を、食事もとらずに死ぬまで守り続けた、賢い猿の悲しいお話です。
④国土安穏寺
お寺の前の歩道上で見かけた「パネル」です。
徳川将軍家の鷹狩りの様子を図案化した様です。
このお寺の境内は広く、また、見所もたくさんあります。
表から見た仁王門。
こちらは、裏側(境内の中)から見た仁王門です。
大きな「わらじ」だこと。
大きくて立派な本堂です。
第三代将軍「徳川家光公」が植えた松で、「五街道分間延絵図」に描かれているとのことです。
凄い松の木なんですね。
墓地の手前には、ユニークな小僧の石像が二体ありました。
「二宮尊徳」の様な像なのですが、ネットで調べても解りませんでした。
旧本堂で使われていた立派な「鬼瓦」です。
嶋根歌舞伎発祥公演之地
鎌倉幕府中期に日蓮宗を開いた僧の「日蓮上人」
こちらの銅像も大きいです。
鶴亀の庭
⑤栗原氷川神社
こちらの神社では、お参りのみ。
⑥赤羽家長屋門
江戸時代に名主を務めた牛込家の長屋門。
屋号を「金武(きんぶ)」と唱えていたことから、「金武屋敷の長屋門」とも呼ばれるそうです。
⑦島根鷲神社(しまね わしじんじゃ)
この神社の境内にも、見所がたくさんあります。
将軍石
島根村は徳川将軍家の鷹狩場であったため、この鷲神社にも歴代将軍が参詣に訪れていた様です。
この神社でも3代将軍の家光が松を植えたそうですが、何と枯れてしまったとか。
また、徳川吉宗が座ったという将軍石があります。
もちろん、説明書きの通りに座りましたが、昔では恐れ多くて座った日には、死罪かも?
すわり心地は、ちょっと固めです。
また、告知板の左端には、「賜 白銀十枚 六諭行儀大意」と書かれています。
この神社にあった寺子屋で、手習い教本に幕府の諸法度集が用いられているのを見て、祠官に褒美を賜ったということのようです。
境内の奥に、この様な像がありました。
本神社の御祭神の日本武尊〔やまとたけるのみこと〕の像でしょうか。
縁結びの樹〔愛染桂(あいぜん かつら)〕
重さ35トンの灯籠です。
本殿裏には高さ2mほどの富士塚もあります。
⑧炎天寺
このお寺は、江戸時代を代表する俳人の小林一茶と縁が深く、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」という俳句の通り、境内は蛙づくしなんです。
相撲を取っている蛙の後には、「蝉なく や 六月村の 炎天寺」という句碑があります。
こちら側には、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」の句碑があります。
左端で腕組みをしている蛙は、親方さんなのでしょうか?
こちらの蛙は、滝行を行なって悟りを開いているようです。
本堂の右端には、福蛙の石像があります。
横に回りこんで見てみると、子供の蛙をおんぶしています。
竹ノ塚駅近くの歩道上で見かけた、汚水マンホール蓋の図柄です。
こんな「パネル」も発見。
歩いた歩道上で蛙の図柄は、この一枚だけ。ラッキー。
他にも、違った図柄のパネルがありました。
⑨西光院
⑩常楽寺
⑪万福寺
明治九年四月、竹塚・島根・栗原村の子どもたちが学ぶ「竹嶋小学校」がこの寺に開設されたそうです。
寺子屋 竹嶋小学校跡の碑
12 竹の塚カリンロード
東武線「竹ノ塚駅」の東側にある商店街(カリンロード)の様子です。
お昼に食べたかったラーメン屋さんが、意外にも見かけませんでした。
今回の散策は、予想以上にたくさん面白いものが見られました。
下町の紅葉狩り [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
秋の赤塚散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年11月3日(土)
今日は、久しぶりに一人で散策に出かけました。
行き先は、板橋区の赤塚にある「東京大仏」をメインに、周辺を散策しました。
約2時間30分の散策コースでした。
(赤塚三中の壁画)
東武東上線の下赤塚駅から「東京大仏」に向かって、約15分ほど歩いた道沿いにあります。
この音符を順になぞっていくと、「赤塚三中」の校歌のメロディーになるそうです。
また、音符には一つづつ違った顔が描かれています。
(松月院)
板橋区内では、屈指の由緒、格式のあるお寺です。
(東京大仏[乗蓮寺])
こちらも松月院と同様に、徳川家ゆかりの立派なお寺です。
ここには、「東京大仏」という、大仏様があります。
青銅製の鋳造大仏(坐像)では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさで、高さは12.5mあります。
てへっ、手のひらの上に乗せちゃった。
鐘つき堂です。
良い感じです。
境内の中にあった、何でも耐える“がまんの鬼”
我慢…。
人生に必要なものだと思います。
境内には、七福神の石像もありました。
このお寺の御朱印を帳面に直筆していただくのは、かなり難しいようです。
繁忙期は、御朱印帳を預けて一週間後に再度受け取りに伺うとのことです。
今回は、予め書かれた御朱印紙に今日の日付を入れたものをいただきました。
(赤塚植物園)
もっと葉っぱが色づけば、深い秋を感じられそうです。
(不動の滝)
地元では、霊感スポットで有名なようです。
流れ落ちる水は、かなり少なめです。
周辺が暗いため気づきにくかったのですが、滝の上部には、不動明王の石像が置かれていました。
(赤塚城址)
内容が難しいです。
城址の梅林
梅の花が咲く時期には、良さそうな所です。
(溜め池公園)
地元の釣り場になっており、多くの釣り人で大騒ぎでした。
(竹の子公園)
竹林の広さは、それほど広くありませんが、いい感じです。
竹って、何故か落ち着きますね。
(諏訪神社)
国指定の重要無形民俗文化財の「田遊び」が行われることで有名な神社なんだそうです。
今回も、結構歩いたなぁ。
今日は、久しぶりに一人で散策に出かけました。
行き先は、板橋区の赤塚にある「東京大仏」をメインに、周辺を散策しました。
約2時間30分の散策コースでした。
(赤塚三中の壁画)
東武東上線の下赤塚駅から「東京大仏」に向かって、約15分ほど歩いた道沿いにあります。
この音符を順になぞっていくと、「赤塚三中」の校歌のメロディーになるそうです。
また、音符には一つづつ違った顔が描かれています。
(松月院)
板橋区内では、屈指の由緒、格式のあるお寺です。
(東京大仏[乗蓮寺])
こちらも松月院と同様に、徳川家ゆかりの立派なお寺です。
ここには、「東京大仏」という、大仏様があります。
青銅製の鋳造大仏(坐像)では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさで、高さは12.5mあります。
てへっ、手のひらの上に乗せちゃった。
鐘つき堂です。
良い感じです。
境内の中にあった、何でも耐える“がまんの鬼”
我慢…。
人生に必要なものだと思います。
境内には、七福神の石像もありました。
このお寺の御朱印を帳面に直筆していただくのは、かなり難しいようです。
繁忙期は、御朱印帳を預けて一週間後に再度受け取りに伺うとのことです。
今回は、予め書かれた御朱印紙に今日の日付を入れたものをいただきました。
(赤塚植物園)
もっと葉っぱが色づけば、深い秋を感じられそうです。
(不動の滝)
地元では、霊感スポットで有名なようです。
流れ落ちる水は、かなり少なめです。
周辺が暗いため気づきにくかったのですが、滝の上部には、不動明王の石像が置かれていました。
(赤塚城址)
内容が難しいです。
城址の梅林
梅の花が咲く時期には、良さそうな所です。
(溜め池公園)
地元の釣り場になっており、多くの釣り人で大騒ぎでした。
(竹の子公園)
竹林の広さは、それほど広くありませんが、いい感じです。
竹って、何故か落ち着きますね。
(諏訪神社)
国指定の重要無形民俗文化財の「田遊び」が行われることで有名な神社なんだそうです。
今回も、結構歩いたなぁ。
長距離散策の試み(自宅から日本橋人形町編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年9月8日(土)
月が変わって朝夕は少し涼しくなってきたようにも感じますが、まだまだ暑い日が続きます。
今日は鈍った脚力の鍛錬を目的に、散策を兼ねて長距離のウォーキングに行きました。
行き先は、中央区の日本橋人形町を中心とした周辺の散策です。
ウォーキングルートは、自宅(墨田区)→旧中川(遊歩道)→小名木川(遊歩道)→一般道路→新大橋→甘酒横丁→人形町通り→日本銀行→日本橋→水天宮です。
歩行距離にして、15kmオーバー。
要した時間は5時間と、かなりハードな散策になりました。
(自宅~新大橋まで)
旧中川に架かる「ふれあい橋」から見たスカイツリーです。
今朝は、雲に覆われていて良く見えません。
小名木川沿いの遊歩道も歩きやすいコースです。
小名木川に架かるクローバー橋からの眺めです。
のらくろードの街並みです。
まだ朝の早い時間帯なので、店が閉まっています。
「新大橋」の主塔は、オレンジ色で鮮やかです。
(震災避難記念碑と新大橋が「人助け橋」と言われるようになったのは、)
大正十二年の関東大震災で多数の橋が焼け落ちた中で、唯一新大橋(明治四十五年建造)だけが火災から免れて、逃げ惑う一万有余の尊い生命を救い、多くの人々から「人助け橋」と呼ばれ永く親しまれるようになりました。
また、当時近くの派出所に勤務する警察官六名の沈着勇敢な行動を、後世に称えるべき功績として高く評価しています。
(明治座)
(甘酒横丁)
甘酒横丁の名は、徳川時代にこの地にあった甘酒屋から由来したそうです。
(蛎殻銀座跡[かきがらぎんざあと])
現在の銀座二丁目にあった“銀座”という江戸時代の組織(銀貨の製造工場と銀貨の検査や銀地金の調達を行う、造幣局の様なもの)が、1800年11月に蛎殻町に再発足し、その後「蛎殻銀座」と呼ばれ続けたとのことです。
(谷崎潤一郎生誕の地)
明治末期から昭和中期まで活躍した小説家ですが、自分は作品を読んだことがありません。
(鯨と海と人形町)
あやつり人形のバネは、鯨のヒゲが使用されているとのことです。
なので、人形町は、鯨ととても深い関係なんですね。
(小網神社[こあみじんじゃ])
“強運厄除”としてご利益があり、「東京八社福参り」の一つだと知りました。
本日最後に訪れた水天宮も「東京八社福参り」の一つで、“安産子授け”にご利益があるとのことです。
(人形町通り)
通りには、この様な時計塔があります。
やっぱり中央区は、華やかさがありますね。
(鉄造菩薩頭 大観音寺[おおがんのんじ])
鉄製の巨大な観音様の頭部(鉄造菩薩頭)が安置されていることで有名です。
このお寺は「江戸三十三札所巡り」で訪れているので、今日は、外観の撮影だけです。
階段の脇に、“防火用井戸”がありました。
いざとなると、水道管からの給水より、井戸水の方が確実かもしれません。
(玄冶店跡[げんやだなあと]
江戸時代の初期に、幕府の顧問医師である「岡本玄冶」の拝領屋敷があったとのことです。
三代将軍の家光が大病になり、色々と手を尽くして効果がなかった時に、玄冶の作った薬で治り、白銀二百枚が与えられたそうです。
(江戸伝馬町処刑場跡-大安楽寺内[だいあんらくじ])
(伝馬町牢屋敷跡と吉田松陰終焉の地)
道路を挟んだ大安楽寺の前には、十思[じっし]公園があります。
この公園は、伝馬町牢屋敷跡で長州藩士の吉田松陰[よしだしょういん]も、収容されていたとのことです。
江戸幕府が行った弾圧(安政の大獄)で、処刑されてしまいました。
そして、同じく十思公園内には、“時の鐘”というものがあります。
時の鐘というのは、江戸時代に、時刻を知らせるために衝いたものです。
ちなみに、この“時報料”は有料で、聞こえる範囲の地域に住んでいる住民から徴収されたとのことです。
現在公園内にあるこの時の鐘は、小伝馬町ではなく、石町[こくちょう](現在の日本橋室町4丁目付近)という所にありました。
明治4年に時の鐘が廃止され、鐘は近くの屋敷の庭においてあったものを、昭和5年にここに鐘楼を建てて移設したということです。
また、この“時の鐘”は処刑執行の合図にも使用されていたとのことです。
(三井本館)
(日本銀行)
建物(敷地)が広すぎて、1枚の写真には、収まりません。
(三越劇場)
(日本橋)
日本の道路の起点となるところです。
里程標[りていひょう]に書かれている単位の粁は、キロメートルと読みます。
日本橋魚市場発祥の地
(白雪ビル)
ビルの外壁に富士山の絵が描かれています。
調べたところ、日本酒「白雪」で有名な「小西酒造」に関係しているとのことです。
日本酒「白雪」のキャッチフレーズは、“山は富士、酒は白雪”です。
ビルの名前も“白雪ビル”と名付けられていて、粋ですね。
(水天宮)
やはり、カップル連れや妊婦さんが目立ちます。
可愛い「安産子育河童」の石像。
子供は3河童います。(おんぶに抱っこに、脚の裏)
今日の散策は、かなりの汗をかいて疲れましたが、ちょっとは脚が強くなったかなぁ。
月が変わって朝夕は少し涼しくなってきたようにも感じますが、まだまだ暑い日が続きます。
今日は鈍った脚力の鍛錬を目的に、散策を兼ねて長距離のウォーキングに行きました。
行き先は、中央区の日本橋人形町を中心とした周辺の散策です。
ウォーキングルートは、自宅(墨田区)→旧中川(遊歩道)→小名木川(遊歩道)→一般道路→新大橋→甘酒横丁→人形町通り→日本銀行→日本橋→水天宮です。
歩行距離にして、15kmオーバー。
要した時間は5時間と、かなりハードな散策になりました。
(自宅~新大橋まで)
旧中川に架かる「ふれあい橋」から見たスカイツリーです。
今朝は、雲に覆われていて良く見えません。
小名木川沿いの遊歩道も歩きやすいコースです。
小名木川に架かるクローバー橋からの眺めです。
のらくろードの街並みです。
まだ朝の早い時間帯なので、店が閉まっています。
「新大橋」の主塔は、オレンジ色で鮮やかです。
(震災避難記念碑と新大橋が「人助け橋」と言われるようになったのは、)
大正十二年の関東大震災で多数の橋が焼け落ちた中で、唯一新大橋(明治四十五年建造)だけが火災から免れて、逃げ惑う一万有余の尊い生命を救い、多くの人々から「人助け橋」と呼ばれ永く親しまれるようになりました。
また、当時近くの派出所に勤務する警察官六名の沈着勇敢な行動を、後世に称えるべき功績として高く評価しています。
(明治座)
(甘酒横丁)
甘酒横丁の名は、徳川時代にこの地にあった甘酒屋から由来したそうです。
(蛎殻銀座跡[かきがらぎんざあと])
現在の銀座二丁目にあった“銀座”という江戸時代の組織(銀貨の製造工場と銀貨の検査や銀地金の調達を行う、造幣局の様なもの)が、1800年11月に蛎殻町に再発足し、その後「蛎殻銀座」と呼ばれ続けたとのことです。
(谷崎潤一郎生誕の地)
明治末期から昭和中期まで活躍した小説家ですが、自分は作品を読んだことがありません。
(鯨と海と人形町)
あやつり人形のバネは、鯨のヒゲが使用されているとのことです。
なので、人形町は、鯨ととても深い関係なんですね。
(小網神社[こあみじんじゃ])
“強運厄除”としてご利益があり、「東京八社福参り」の一つだと知りました。
本日最後に訪れた水天宮も「東京八社福参り」の一つで、“安産子授け”にご利益があるとのことです。
(人形町通り)
通りには、この様な時計塔があります。
やっぱり中央区は、華やかさがありますね。
(鉄造菩薩頭 大観音寺[おおがんのんじ])
鉄製の巨大な観音様の頭部(鉄造菩薩頭)が安置されていることで有名です。
このお寺は「江戸三十三札所巡り」で訪れているので、今日は、外観の撮影だけです。
階段の脇に、“防火用井戸”がありました。
いざとなると、水道管からの給水より、井戸水の方が確実かもしれません。
(玄冶店跡[げんやだなあと]
江戸時代の初期に、幕府の顧問医師である「岡本玄冶」の拝領屋敷があったとのことです。
三代将軍の家光が大病になり、色々と手を尽くして効果がなかった時に、玄冶の作った薬で治り、白銀二百枚が与えられたそうです。
(江戸伝馬町処刑場跡-大安楽寺内[だいあんらくじ])
(伝馬町牢屋敷跡と吉田松陰終焉の地)
道路を挟んだ大安楽寺の前には、十思[じっし]公園があります。
この公園は、伝馬町牢屋敷跡で長州藩士の吉田松陰[よしだしょういん]も、収容されていたとのことです。
江戸幕府が行った弾圧(安政の大獄)で、処刑されてしまいました。
そして、同じく十思公園内には、“時の鐘”というものがあります。
時の鐘というのは、江戸時代に、時刻を知らせるために衝いたものです。
ちなみに、この“時報料”は有料で、聞こえる範囲の地域に住んでいる住民から徴収されたとのことです。
現在公園内にあるこの時の鐘は、小伝馬町ではなく、石町[こくちょう](現在の日本橋室町4丁目付近)という所にありました。
明治4年に時の鐘が廃止され、鐘は近くの屋敷の庭においてあったものを、昭和5年にここに鐘楼を建てて移設したということです。
また、この“時の鐘”は処刑執行の合図にも使用されていたとのことです。
(三井本館)
(日本銀行)
建物(敷地)が広すぎて、1枚の写真には、収まりません。
(三越劇場)
(日本橋)
日本の道路の起点となるところです。
里程標[りていひょう]に書かれている単位の粁は、キロメートルと読みます。
日本橋魚市場発祥の地
(白雪ビル)
ビルの外壁に富士山の絵が描かれています。
調べたところ、日本酒「白雪」で有名な「小西酒造」に関係しているとのことです。
日本酒「白雪」のキャッチフレーズは、“山は富士、酒は白雪”です。
ビルの名前も“白雪ビル”と名付けられていて、粋ですね。
(水天宮)
やはり、カップル連れや妊婦さんが目立ちます。
可愛い「安産子育河童」の石像。
子供は3河童います。(おんぶに抱っこに、脚の裏)
今日の散策は、かなりの汗をかいて疲れましたが、ちょっとは脚が強くなったかなぁ。
旧中川~竪川(たてかわ)~大横川親水公園の散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年7月29日(日)
出発時刻は8時です。
今日も、暑い一日となりそうです。
今日の外出先は、今まで歩いたことがない竪川(たてかわ)沿いを、歩いてみることにしました。
散策の結果は、歩行距離で約10km、所要時間にして約3時間となりました。
(旧中川)
旧中川は、いつもたくさんの水鳥たちがいるので、歩いていると癒されます。
シロサギ、空き、鵜、鵜、鵜、空き、鵜、鵜、・ ・ ・、木杭の上に整列しています。
(竪川河川敷公園)
概ね現在はこの様な状況で、首都高速道路の下に位置します。
竪川の大部分が埋め立てられて、川の面影をほとんど見ることができません。
現在、この竪川河川敷公園は、長い区間にわたって公園の整備・改修工事を行なっている最中です。
数年後には、ウォーキングに最適な公園になると思います。
この河川敷公園には、パターゴルフ場もありました。
首都高速の橋脚を挟んで、南側と北側にコースがあります。
今年の4月に開場したカヌー・カヤック場です。
短い距離の中で、子供たちが練習に励んでいます。
昭和47年まで亀戸地域で活躍していた都電のオブジェ(レールと車輪)を見ることができます。
(横十間川)
墨田区と江東区を南北に流れる「横十間川」です。
江戸城から見ると横に流れ、川幅が十間(18m)あったことからこの名前がつけられました。
(江東寺)
江東寺(こうとうじ)という名前のお寺ですが、場所は墨田区に位置します。
ちょうど、この辺りは江東区と墨田区の区界が入り組んでいる場所です。
このお寺は、「墨田区お寺めぐり」のひとつだったので、立ち寄ってスタンプを押してもらいました。
(ブレーキ博物館)
今日は、休館日でした。残念。
(大横川親水公園)
撞木橋(しゅもくばし)があった付近の公衆トイレは、デザインがすごくオシャレです。
女性側の入口に描かれていた絵は、以前自分が塗り絵をした「北斎の文鳥と辛夷花(しんいか)」のデザインだったので、ちょっと“どきり”としました。
フリーマーケットが行われており、たくさんの人の熱気で+3℃です。
ここからは、大横川親水公園が約1.3km続きます。
何回訪れても良い親水公園です。
今度は、雪の降る冬に訪れて見たいです。
新しいオブジェが判明しました。
前回の散策で気になっていた管理事務所前の工事中の物体は、「スカイツリーと不思議な記念撮影ができる新しいビューポイント」に判明しました。
さっそく、自分撮りで記念撮影を。
暑い夏でも、紫外線に弱い自分は、いつも長袖シャツで頑張っています。
この時点で、すでに大汗でシャツがビショビショの状態です。
この写真で、解ってもらえるかも…。
この後、大横川親水公園管理事務の屋上に螺旋階段で上り、そこからスカイツリーを眺めた後は、このローラー滑り台で一気に滑り降りました。
てへっ、着地失敗、尻が痛い。
(スカイツリー)
今日も猛暑日に負けず、「ソラマチ」は、大勢の観光客で賑わっていました。
来週は、散策同好会で旧東海道を約5時間歩きます。
間違いなく暑いです。
出発時刻は8時です。
今日も、暑い一日となりそうです。
今日の外出先は、今まで歩いたことがない竪川(たてかわ)沿いを、歩いてみることにしました。
散策の結果は、歩行距離で約10km、所要時間にして約3時間となりました。
(旧中川)
旧中川は、いつもたくさんの水鳥たちがいるので、歩いていると癒されます。
シロサギ、空き、鵜、鵜、鵜、空き、鵜、鵜、・ ・ ・、木杭の上に整列しています。
(竪川河川敷公園)
概ね現在はこの様な状況で、首都高速道路の下に位置します。
竪川の大部分が埋め立てられて、川の面影をほとんど見ることができません。
現在、この竪川河川敷公園は、長い区間にわたって公園の整備・改修工事を行なっている最中です。
数年後には、ウォーキングに最適な公園になると思います。
この河川敷公園には、パターゴルフ場もありました。
首都高速の橋脚を挟んで、南側と北側にコースがあります。
今年の4月に開場したカヌー・カヤック場です。
短い距離の中で、子供たちが練習に励んでいます。
昭和47年まで亀戸地域で活躍していた都電のオブジェ(レールと車輪)を見ることができます。
(横十間川)
墨田区と江東区を南北に流れる「横十間川」です。
江戸城から見ると横に流れ、川幅が十間(18m)あったことからこの名前がつけられました。
(江東寺)
江東寺(こうとうじ)という名前のお寺ですが、場所は墨田区に位置します。
ちょうど、この辺りは江東区と墨田区の区界が入り組んでいる場所です。
このお寺は、「墨田区お寺めぐり」のひとつだったので、立ち寄ってスタンプを押してもらいました。
(ブレーキ博物館)
今日は、休館日でした。残念。
(大横川親水公園)
撞木橋(しゅもくばし)があった付近の公衆トイレは、デザインがすごくオシャレです。
女性側の入口に描かれていた絵は、以前自分が塗り絵をした「北斎の文鳥と辛夷花(しんいか)」のデザインだったので、ちょっと“どきり”としました。
フリーマーケットが行われており、たくさんの人の熱気で+3℃です。
ここからは、大横川親水公園が約1.3km続きます。
何回訪れても良い親水公園です。
今度は、雪の降る冬に訪れて見たいです。
新しいオブジェが判明しました。
前回の散策で気になっていた管理事務所前の工事中の物体は、「スカイツリーと不思議な記念撮影ができる新しいビューポイント」に判明しました。
さっそく、自分撮りで記念撮影を。
暑い夏でも、紫外線に弱い自分は、いつも長袖シャツで頑張っています。
この時点で、すでに大汗でシャツがビショビショの状態です。
この写真で、解ってもらえるかも…。
この後、大横川親水公園管理事務の屋上に螺旋階段で上り、そこからスカイツリーを眺めた後は、このローラー滑り台で一気に滑り降りました。
てへっ、着地失敗、尻が痛い。
(スカイツリー)
今日も猛暑日に負けず、「ソラマチ」は、大勢の観光客で賑わっていました。
来週は、散策同好会で旧東海道を約5時間歩きます。
間違いなく暑いです。
時を超えて、セイコーミュージアム。 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年7月22日(日)
台東区東浅草周辺の散策を終了した後、墨田区東向島にある「セイコーミュージアム」を見学しました。
ミュージアムの建物には、時計の文字盤のオブジェが取り付けてあり、遠くからでも目立ちます。
入館料は無料で、時計の歴史を楽しく学ぶことができます。
◆創業者 服部金太郎氏
“時計王”と言われた服部金太郎氏は、屈指の偉人だと感じました。
「すべて商人は、世間より一歩先に進む必要がある。ただし、ただ一歩だけでよい。何歩も先にすすみすぎると、世間とあまり離れて預言者に 近くなってしまう」
「急ぐな、休むな」
「向上心は何処までも持っていて、一歩一歩少しずつでも急がず休まずに働いていった方がよい」
◆日時計
・赤道型(こま型)日時計
中国の清時代(1616~1912年)の物。
・垂直型日時計
イギリス製の壁掛け式。
◆振り子掛け時計
・月齢付振子掛時計(写真の向かって左端)
18世紀中期、オランダ製。
ダイヤルには月齢やカレンダー、アラームが付いている洗練された掛時計。
◆鉄枠塔時計
1500年頃。重錘式、冠型脱進機、棒テンプ、時打ち等、1300年頃ヨーロッパで発明された機械式塔時計の機能を備えている。
見学の途中で、ちょうど時を知らせる鐘がなったので、動画に収めてみました。
◆珍しい腕時計(一部)
・セイコースプリングドライブ“space walk”
世界限定で100個という超レアモノです。
この時計は、2008年10月に史上6人目の民間人として宇宙に旅立ち、国際宇宙ステーションに12日間滞在したリチャード・ギャリオット氏のために作られた、ということです。
スペースウォークは、ギャリオット氏の国際宇宙ステーションでの滞在期間中、無重力の環境であるにもかかわらず、自動巻ウオッチとして機能し、手巻でぜんまいを巻上げる必要なく作動し続けました。
価格は、2,500,00円ですが、安いようにも感じてしまいます。
・世界初 テレビ付ウォッチ
昭和57年製、価格は、108,000円。
コンパクト化には、まだまだ技術的に難しい時代だったんですね。
・リストコンピューター
腕時計と電卓が一体になったものです。
昭和59年製で、価格は54,800円。
どうなんでしょう。
ついでに、リストも強化されそうですね。
・カリキュレーター
製品名の通り、計算機能付きの腕時計です。
昭和52年製で価格は48,000円と、当時では、高価な商品の一つです。
・一つ一つが違った顔を持っている腕時計
・腕時計の部品の全て
時計職人は、この多くの部品を組み立てて、一つの腕時計を完成させるんですね。
すごいです。
◆スポーツ時計(一部)
・スリットビデオ
陸上競技大会において、世界記録を計ったスリットビデオです。
これ以外にも水泳用のタッチ板(タイムを測定する)や、東京オリンピックで使用したストップウォッチなどがありました。
◆掛け時計、置き時計(近代)
たくさんの腕時計を見ていたら。。。
高校入学の時に親から買ってもらった腕時計。
もう今では、手元には無い。
あ~あ、とても懐かしいな~。
台東区東浅草周辺の散策を終了した後、墨田区東向島にある「セイコーミュージアム」を見学しました。
ミュージアムの建物には、時計の文字盤のオブジェが取り付けてあり、遠くからでも目立ちます。
入館料は無料で、時計の歴史を楽しく学ぶことができます。
◆創業者 服部金太郎氏
“時計王”と言われた服部金太郎氏は、屈指の偉人だと感じました。
「すべて商人は、世間より一歩先に進む必要がある。ただし、ただ一歩だけでよい。何歩も先にすすみすぎると、世間とあまり離れて預言者に 近くなってしまう」
「急ぐな、休むな」
「向上心は何処までも持っていて、一歩一歩少しずつでも急がず休まずに働いていった方がよい」
◆日時計
・赤道型(こま型)日時計
中国の清時代(1616~1912年)の物。
・垂直型日時計
イギリス製の壁掛け式。
◆振り子掛け時計
・月齢付振子掛時計(写真の向かって左端)
18世紀中期、オランダ製。
ダイヤルには月齢やカレンダー、アラームが付いている洗練された掛時計。
◆鉄枠塔時計
1500年頃。重錘式、冠型脱進機、棒テンプ、時打ち等、1300年頃ヨーロッパで発明された機械式塔時計の機能を備えている。
見学の途中で、ちょうど時を知らせる鐘がなったので、動画に収めてみました。
ダウンロードは🎥こちら
◆珍しい腕時計(一部)
・セイコースプリングドライブ“space walk”
世界限定で100個という超レアモノです。
この時計は、2008年10月に史上6人目の民間人として宇宙に旅立ち、国際宇宙ステーションに12日間滞在したリチャード・ギャリオット氏のために作られた、ということです。
スペースウォークは、ギャリオット氏の国際宇宙ステーションでの滞在期間中、無重力の環境であるにもかかわらず、自動巻ウオッチとして機能し、手巻でぜんまいを巻上げる必要なく作動し続けました。
価格は、2,500,00円ですが、安いようにも感じてしまいます。
・世界初 テレビ付ウォッチ
昭和57年製、価格は、108,000円。
コンパクト化には、まだまだ技術的に難しい時代だったんですね。
・リストコンピューター
腕時計と電卓が一体になったものです。
昭和59年製で、価格は54,800円。
どうなんでしょう。
ついでに、リストも強化されそうですね。
・カリキュレーター
製品名の通り、計算機能付きの腕時計です。
昭和52年製で価格は48,000円と、当時では、高価な商品の一つです。
・一つ一つが違った顔を持っている腕時計
・腕時計の部品の全て
時計職人は、この多くの部品を組み立てて、一つの腕時計を完成させるんですね。
すごいです。
◆スポーツ時計(一部)
・スリットビデオ
陸上競技大会において、世界記録を計ったスリットビデオです。
これ以外にも水泳用のタッチ板(タイムを測定する)や、東京オリンピックで使用したストップウォッチなどがありました。
◆掛け時計、置き時計(近代)
たくさんの腕時計を見ていたら。。。
高校入学の時に親から買ってもらった腕時計。
もう今では、手元には無い。
あ~あ、とても懐かしいな~。
水辺の散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年6月30日(土)
今日も、いい汗をかきました。
今回は、近所の旧中川を始点に、いくつか川沿いに散策をしました。
まずは、いつもの『旧中川』編からです。
「ふれあい橋」から見るスカイツリー。
ふれあい橋とスカイツリー
シロサギもまったりとしています。
柳の木がとても似合う、『小名木川』編
前回の散策で取りこぼした、「塩なめ地蔵」です。
供えられた塩をつけると疣(いぼ)が取れると言われています。
江戸時代、小名木川の寺(宝塔寺)の前を通る行商人が荷物の塩を少しずつ地蔵に供えたのが塩なめ地蔵の起源であると伝えられています。
猿江神社(さるえじんじゃ)
ちょっと寄り道、「のらくろ館」
好きな言葉だなぁ。
「のらくろード」です。
クローバー橋とスカイツリー
上空斜め45度くらいから眺められるといいんだけど。
もっとペダルを踏むんだぁ、『横十間川親水公園』編
クローバー橋の近くには、ボート乗り場があります。
30分間で100円(延長は、だめ)の、ペダルボートと手漕ぎボートの二種類があります。
ペダルボートの方を借りて、散策で鍛えた脚力をフル回転。
それでも時速
2.0kmくらいでしょうか。
へへへ、楽しい~。
海砂橋
橋のところで、親子がシャボン玉で遊んでいます。
いい感じやん。
岩井橋
三島橋
うし、今度は母ちゃんと来るべ。
次は、文学だ、『隅田川・松尾芭蕉』編
今年1月の「深川七福神巡り」では、館内の見学ができなかったため、改めて来訪してみました。
入館料100円と、かなりリーズナブルです。
こちらは、庭園の様な“細道”を登って行くと…
松尾芭蕉の出で立ちの中に、頭陀袋(ずだぶくろ)というショルダーバッグの様なものがあります。
自分は、“ずだぶくろ”という言葉を、ずっと“ご汚い袋”を表す方言だと思っていたのですが、仏教で僧侶が、携行用に用いた袋だったと、知りました。
散策は、勉強になります。
そよ風にあたりながら歩く、『隅田川』編
橋桁がオレンジ色の「新大橋」。
綺麗ですね。
ちょっとだけ、『竪川』編
竪川は、隅田川と旧中川を東西に結ぶ運河です。
そこにある、水門です。
『両国』付近
両国は相撲の地です。
春日野部屋(かすがのべや)
陸奥部屋(みちのくべや)
両国国技館とスカイツリーです。
最後は、今日のおみやげ。
芭蕉記念館で買った「きんのしおり」です。
今回も10km以上、歩きました。
お腹も空いたし…、もうお昼だぁ。
体にいいよね~。
今日も、いい汗をかきました。
今回は、近所の旧中川を始点に、いくつか川沿いに散策をしました。
まずは、いつもの『旧中川』編からです。
「ふれあい橋」から見るスカイツリー。
ふれあい橋とスカイツリー
シロサギもまったりとしています。
柳の木がとても似合う、『小名木川』編
前回の散策で取りこぼした、「塩なめ地蔵」です。
供えられた塩をつけると疣(いぼ)が取れると言われています。
江戸時代、小名木川の寺(宝塔寺)の前を通る行商人が荷物の塩を少しずつ地蔵に供えたのが塩なめ地蔵の起源であると伝えられています。
猿江神社(さるえじんじゃ)
ちょっと寄り道、「のらくろ館」
好きな言葉だなぁ。
「のらくろード」です。
クローバー橋とスカイツリー
上空斜め45度くらいから眺められるといいんだけど。
もっとペダルを踏むんだぁ、『横十間川親水公園』編
クローバー橋の近くには、ボート乗り場があります。
30分間で100円(延長は、だめ)の、ペダルボートと手漕ぎボートの二種類があります。
ペダルボートの方を借りて、散策で鍛えた脚力をフル回転。
それでも時速
2.0kmくらいでしょうか。
へへへ、楽しい~。
海砂橋
橋のところで、親子がシャボン玉で遊んでいます。
いい感じやん。
岩井橋
三島橋
うし、今度は母ちゃんと来るべ。
次は、文学だ、『隅田川・松尾芭蕉』編
今年1月の「深川七福神巡り」では、館内の見学ができなかったため、改めて来訪してみました。
入館料100円と、かなりリーズナブルです。
こちらは、庭園の様な“細道”を登って行くと…
松尾芭蕉の出で立ちの中に、頭陀袋(ずだぶくろ)というショルダーバッグの様なものがあります。
自分は、“ずだぶくろ”という言葉を、ずっと“ご汚い袋”を表す方言だと思っていたのですが、仏教で僧侶が、携行用に用いた袋だったと、知りました。
散策は、勉強になります。
そよ風にあたりながら歩く、『隅田川』編
橋桁がオレンジ色の「新大橋」。
綺麗ですね。
ちょっとだけ、『竪川』編
竪川は、隅田川と旧中川を東西に結ぶ運河です。
そこにある、水門です。
『両国』付近
両国は相撲の地です。
春日野部屋(かすがのべや)
陸奥部屋(みちのくべや)
両国国技館とスカイツリーです。
最後は、今日のおみやげ。
芭蕉記念館で買った「きんのしおり」です。
今回も10km以上、歩きました。
お腹も空いたし…、もうお昼だぁ。
体にいいよね~。
今週も「あづちゃん家」へ訪問。 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年6月24日(日)
先週奥方に「あづちゃん家」へ行った話しをしたら、どうしても一緒に行きたいということになり、今週も「あづちゃん家」へ行ってきました。
奥方は、歩くことがあまり得意ではないので、自宅付近に新設された墨田区内の循環バス「すみまるくん」に乗って押上駅まで行くことにしました。
自宅から「すみまるくん」のバス停まで1分、そして、運賃もわずかに100円。
楽ちん、楽ちん。
ソラマチの「広場・ガーデン」から撮影。
こちらは、北十間川を見下ろして撮影。
「サザエさん茶屋」という限定メニューを扱っているお店の様ですが、開店時間前だったので写真のみ。
サザエさんグッズも売っている様です。
先週「吾妻橋フェスティバル2012」で大騒ぎだった「あづちゃん家」
開店時間の直後だったこともあり、今日は、静か~。
あづちゃん家から隅田公園に向う途中で、「清雄寺(せいおうじ)」というお寺に立ち寄りました。
お参りをした後は、“墨田区お寺巡り”のスタンプを押して貰いました。
途中、枕橋から逆さスカイツリーを見ましたが、まだ北十間川の水が汚れています。
ずっと前からこの様な状況ですが、どうしてなのでしょうか?
隅田公園内で行われていた「フォークダンス・フェスティバル」の様子。
青春ですね~
隅田公園でまったりとした後は、浅草へ移動。
浅草の「モンブラン」というハンバーグで有名なお店でお昼ごはんを食べた後、浅草寺を散策しました。
浅草寺は今日も賑わっていました。
今週も、浅草神社の境内で猿回しが行われていました。
先週奥方に「あづちゃん家」へ行った話しをしたら、どうしても一緒に行きたいということになり、今週も「あづちゃん家」へ行ってきました。
奥方は、歩くことがあまり得意ではないので、自宅付近に新設された墨田区内の循環バス「すみまるくん」に乗って押上駅まで行くことにしました。
自宅から「すみまるくん」のバス停まで1分、そして、運賃もわずかに100円。
楽ちん、楽ちん。
ソラマチの「広場・ガーデン」から撮影。
こちらは、北十間川を見下ろして撮影。
「サザエさん茶屋」という限定メニューを扱っているお店の様ですが、開店時間前だったので写真のみ。
サザエさんグッズも売っている様です。
先週「吾妻橋フェスティバル2012」で大騒ぎだった「あづちゃん家」
開店時間の直後だったこともあり、今日は、静か~。
あづちゃん家から隅田公園に向う途中で、「清雄寺(せいおうじ)」というお寺に立ち寄りました。
お参りをした後は、“墨田区お寺巡り”のスタンプを押して貰いました。
途中、枕橋から逆さスカイツリーを見ましたが、まだ北十間川の水が汚れています。
ずっと前からこの様な状況ですが、どうしてなのでしょうか?
隅田公園内で行われていた「フォークダンス・フェスティバル」の様子。
青春ですね~
隅田公園でまったりとした後は、浅草へ移動。
浅草の「モンブラン」というハンバーグで有名なお店でお昼ごはんを食べた後、浅草寺を散策しました。
浅草寺は今日も賑わっていました。
今週も、浅草神社の境内で猿回しが行われていました。
今日も“ワイルドにウォーキングだぜぇ”(浅草編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年6月17日(日) 10時くらいから
今日は、雨上がりの10時から散策を開始しました。
行き先は、東京スカイツリーを見ながら押上まで歩いて行き、その後は、浅草寺そして、江戸六地蔵尊のある「東禅寺(とうぜんじ )」まで歩きました。
しかし、東禅寺に到着したのが12時を過ぎてしまったため“御朱印”は、あきらめて写真だけを撮り、後は適当に散策しました。
歩行距離は、約11km歩きましたが、隅田川の川辺で缶ビールを1本飲んで途中から都バスを利用したため、それ以上距離が伸びませんでした。
まぁ、いっかぁ。
(本日のウォーキングコースの一部)
(北十間川から見た東京スカイツリー)
押上駅に向かいながら、ビューポイントで撮影。
ちなみに、「東京ソラマチ」は、たくさんの人たちであふれかえっています。
(大横川親水公園)
今月の末まで大横川親水公園の管理事務所は、整備中のため立入禁止になっています。
ん~?、整備中の一角に、何やら。
凸面鏡を利用して「第二のスカイツリー」を映し出そうとしている様です。
“道路のセンターライン”の様なものと組み合わせるようですが、どの様な角度から見るのでしょうか?
多分、凸面鏡に向い合って立ち、自分撮りすると…。
今後、“要”チェックです。
(あづちゃん家)
都営浅草線の「本所吾妻橋駅」近くにある、あづちゃん家です。
“おしなりくん”の友だち的な“ゆるキャラ”です。
今日は、「吾妻橋フェスティバル2012」というイベントで、あづちゃん家周辺の本所吾妻橋駅付近は大変な人出です。
一方、押上駅と旧業平橋駅(現、とうきょうスカイツリー駅)の中間地点にある“ゆるキャラ老舗”の「おしなりくんの家」は、というと…。
帰りがけのバスから見えた感じでは、訪れる人も少なくちょと寂しそうでした。
人の流れ(人気)は、敏感ですね~。
(浅草寺)
いつ来ても人出が多い浅草寺です。
おっと、伝法院通りに何やら物体が。
これは、「日本駄右衛門」という、大泥棒で白浪五人男の頭領です。
百日髷と言われる伸びすぎた髷が特徴的です。
東京スカイツリーも良いけど、浅草も良いですね。
こちらは、浅草寺の五重塔です。
浅草神社では、猿まわしが行われていましたが、この後の予定もあり、ゆっくり見ることができませんでした。
(江戸六地蔵尊)
到着時刻がちょうど12時になってしまったため、「御朱印」は遠慮して、写真のみ撮影しました。
また、来ます。
奥州街道筋に安置された、お地蔵様です。
境内の地藏尊の隣には、アンパンで有名な木村屋創始者夫妻が埋葬されている銅像があります。
後で知りました。(合掌)
(隅田川沿い)
以前に、二回訪れている「今戸神社」です。
縁結びとして有名な神社なので、やはりカップルや、若い女性が多く、親ジェには、近づきがたい神社です。
「今戸神社」に立ち寄った後は、コンビニで缶ビールを仕入れて、隅田川の岸辺で小休止。
お疲れっす!
曇り空なので、隅田川から見る東京スカイツリーも今ひとつです。
いつも、隅田川の岸辺の花を見る度に”滝廉太郎氏”の、『四季・第1曲の花』を思い出します。
「春のうららの隅田川~」
もうすぐ夏本番ですが…
隅田川では、一番お気に入りの吾妻橋です。
今日は、暑かったぜぇ。
今日は、雨上がりの10時から散策を開始しました。
行き先は、東京スカイツリーを見ながら押上まで歩いて行き、その後は、浅草寺そして、江戸六地蔵尊のある「東禅寺(とうぜんじ )」まで歩きました。
しかし、東禅寺に到着したのが12時を過ぎてしまったため“御朱印”は、あきらめて写真だけを撮り、後は適当に散策しました。
歩行距離は、約11km歩きましたが、隅田川の川辺で缶ビールを1本飲んで途中から都バスを利用したため、それ以上距離が伸びませんでした。
まぁ、いっかぁ。
(本日のウォーキングコースの一部)
(北十間川から見た東京スカイツリー)
押上駅に向かいながら、ビューポイントで撮影。
ちなみに、「東京ソラマチ」は、たくさんの人たちであふれかえっています。
(大横川親水公園)
今月の末まで大横川親水公園の管理事務所は、整備中のため立入禁止になっています。
ん~?、整備中の一角に、何やら。
凸面鏡を利用して「第二のスカイツリー」を映し出そうとしている様です。
“道路のセンターライン”の様なものと組み合わせるようですが、どの様な角度から見るのでしょうか?
多分、凸面鏡に向い合って立ち、自分撮りすると…。
今後、“要”チェックです。
(あづちゃん家)
都営浅草線の「本所吾妻橋駅」近くにある、あづちゃん家です。
“おしなりくん”の友だち的な“ゆるキャラ”です。
今日は、「吾妻橋フェスティバル2012」というイベントで、あづちゃん家周辺の本所吾妻橋駅付近は大変な人出です。
一方、押上駅と旧業平橋駅(現、とうきょうスカイツリー駅)の中間地点にある“ゆるキャラ老舗”の「おしなりくんの家」は、というと…。
帰りがけのバスから見えた感じでは、訪れる人も少なくちょと寂しそうでした。
人の流れ(人気)は、敏感ですね~。
(浅草寺)
いつ来ても人出が多い浅草寺です。
おっと、伝法院通りに何やら物体が。
これは、「日本駄右衛門」という、大泥棒で白浪五人男の頭領です。
百日髷と言われる伸びすぎた髷が特徴的です。
東京スカイツリーも良いけど、浅草も良いですね。
こちらは、浅草寺の五重塔です。
浅草神社では、猿まわしが行われていましたが、この後の予定もあり、ゆっくり見ることができませんでした。
(江戸六地蔵尊)
到着時刻がちょうど12時になってしまったため、「御朱印」は遠慮して、写真のみ撮影しました。
また、来ます。
奥州街道筋に安置された、お地蔵様です。
境内の地藏尊の隣には、アンパンで有名な木村屋創始者夫妻が埋葬されている銅像があります。
後で知りました。(合掌)
(隅田川沿い)
以前に、二回訪れている「今戸神社」です。
縁結びとして有名な神社なので、やはりカップルや、若い女性が多く、親ジェには、近づきがたい神社です。
「今戸神社」に立ち寄った後は、コンビニで缶ビールを仕入れて、隅田川の岸辺で小休止。
お疲れっす!
曇り空なので、隅田川から見る東京スカイツリーも今ひとつです。
いつも、隅田川の岸辺の花を見る度に”滝廉太郎氏”の、『四季・第1曲の花』を思い出します。
「春のうららの隅田川~」
もうすぐ夏本番ですが…
隅田川では、一番お気に入りの吾妻橋です。
今日は、暑かったぜぇ。