長距離散策の試み(自宅から日本橋人形町編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成24年9月8日(土)
月が変わって朝夕は少し涼しくなってきたようにも感じますが、まだまだ暑い日が続きます。
今日は鈍った脚力の鍛錬を目的に、散策を兼ねて長距離のウォーキングに行きました。
行き先は、中央区の日本橋人形町を中心とした周辺の散策です。
ウォーキングルートは、自宅(墨田区)→旧中川(遊歩道)→小名木川(遊歩道)→一般道路→新大橋→甘酒横丁→人形町通り→日本銀行→日本橋→水天宮です。
歩行距離にして、15kmオーバー。
要した時間は5時間と、かなりハードな散策になりました。
(自宅~新大橋まで)
旧中川に架かる「ふれあい橋」から見たスカイツリーです。
今朝は、雲に覆われていて良く見えません。
小名木川沿いの遊歩道も歩きやすいコースです。
小名木川に架かるクローバー橋からの眺めです。
のらくろードの街並みです。
まだ朝の早い時間帯なので、店が閉まっています。
「新大橋」の主塔は、オレンジ色で鮮やかです。
(震災避難記念碑と新大橋が「人助け橋」と言われるようになったのは、)
大正十二年の関東大震災で多数の橋が焼け落ちた中で、唯一新大橋(明治四十五年建造)だけが火災から免れて、逃げ惑う一万有余の尊い生命を救い、多くの人々から「人助け橋」と呼ばれ永く親しまれるようになりました。
また、当時近くの派出所に勤務する警察官六名の沈着勇敢な行動を、後世に称えるべき功績として高く評価しています。
(明治座)
(甘酒横丁)
甘酒横丁の名は、徳川時代にこの地にあった甘酒屋から由来したそうです。
(蛎殻銀座跡[かきがらぎんざあと])
現在の銀座二丁目にあった“銀座”という江戸時代の組織(銀貨の製造工場と銀貨の検査や銀地金の調達を行う、造幣局の様なもの)が、1800年11月に蛎殻町に再発足し、その後「蛎殻銀座」と呼ばれ続けたとのことです。
(谷崎潤一郎生誕の地)
明治末期から昭和中期まで活躍した小説家ですが、自分は作品を読んだことがありません。
(鯨と海と人形町)
あやつり人形のバネは、鯨のヒゲが使用されているとのことです。
なので、人形町は、鯨ととても深い関係なんですね。
(小網神社[こあみじんじゃ])
“強運厄除”としてご利益があり、「東京八社福参り」の一つだと知りました。
本日最後に訪れた水天宮も「東京八社福参り」の一つで、“安産子授け”にご利益があるとのことです。
(人形町通り)
通りには、この様な時計塔があります。
やっぱり中央区は、華やかさがありますね。
(鉄造菩薩頭 大観音寺[おおがんのんじ])
鉄製の巨大な観音様の頭部(鉄造菩薩頭)が安置されていることで有名です。
このお寺は「江戸三十三札所巡り」で訪れているので、今日は、外観の撮影だけです。
階段の脇に、“防火用井戸”がありました。
いざとなると、水道管からの給水より、井戸水の方が確実かもしれません。
(玄冶店跡[げんやだなあと]
江戸時代の初期に、幕府の顧問医師である「岡本玄冶」の拝領屋敷があったとのことです。
三代将軍の家光が大病になり、色々と手を尽くして効果がなかった時に、玄冶の作った薬で治り、白銀二百枚が与えられたそうです。
(江戸伝馬町処刑場跡-大安楽寺内[だいあんらくじ])
(伝馬町牢屋敷跡と吉田松陰終焉の地)
道路を挟んだ大安楽寺の前には、十思[じっし]公園があります。
この公園は、伝馬町牢屋敷跡で長州藩士の吉田松陰[よしだしょういん]も、収容されていたとのことです。
江戸幕府が行った弾圧(安政の大獄)で、処刑されてしまいました。
そして、同じく十思公園内には、“時の鐘”というものがあります。
時の鐘というのは、江戸時代に、時刻を知らせるために衝いたものです。
ちなみに、この“時報料”は有料で、聞こえる範囲の地域に住んでいる住民から徴収されたとのことです。
現在公園内にあるこの時の鐘は、小伝馬町ではなく、石町[こくちょう](現在の日本橋室町4丁目付近)という所にありました。
明治4年に時の鐘が廃止され、鐘は近くの屋敷の庭においてあったものを、昭和5年にここに鐘楼を建てて移設したということです。
また、この“時の鐘”は処刑執行の合図にも使用されていたとのことです。
(三井本館)
(日本銀行)
建物(敷地)が広すぎて、1枚の写真には、収まりません。
(三越劇場)
(日本橋)
日本の道路の起点となるところです。
里程標[りていひょう]に書かれている単位の粁は、キロメートルと読みます。
日本橋魚市場発祥の地
(白雪ビル)
ビルの外壁に富士山の絵が描かれています。
調べたところ、日本酒「白雪」で有名な「小西酒造」に関係しているとのことです。
日本酒「白雪」のキャッチフレーズは、“山は富士、酒は白雪”です。
ビルの名前も“白雪ビル”と名付けられていて、粋ですね。
(水天宮)
やはり、カップル連れや妊婦さんが目立ちます。
可愛い「安産子育河童」の石像。
子供は3河童います。(おんぶに抱っこに、脚の裏)
今日の散策は、かなりの汗をかいて疲れましたが、ちょっとは脚が強くなったかなぁ。
月が変わって朝夕は少し涼しくなってきたようにも感じますが、まだまだ暑い日が続きます。
今日は鈍った脚力の鍛錬を目的に、散策を兼ねて長距離のウォーキングに行きました。
行き先は、中央区の日本橋人形町を中心とした周辺の散策です。
ウォーキングルートは、自宅(墨田区)→旧中川(遊歩道)→小名木川(遊歩道)→一般道路→新大橋→甘酒横丁→人形町通り→日本銀行→日本橋→水天宮です。
歩行距離にして、15kmオーバー。
要した時間は5時間と、かなりハードな散策になりました。
(自宅~新大橋まで)
旧中川に架かる「ふれあい橋」から見たスカイツリーです。
今朝は、雲に覆われていて良く見えません。
小名木川沿いの遊歩道も歩きやすいコースです。
小名木川に架かるクローバー橋からの眺めです。
のらくろードの街並みです。
まだ朝の早い時間帯なので、店が閉まっています。
「新大橋」の主塔は、オレンジ色で鮮やかです。
(震災避難記念碑と新大橋が「人助け橋」と言われるようになったのは、)
大正十二年の関東大震災で多数の橋が焼け落ちた中で、唯一新大橋(明治四十五年建造)だけが火災から免れて、逃げ惑う一万有余の尊い生命を救い、多くの人々から「人助け橋」と呼ばれ永く親しまれるようになりました。
また、当時近くの派出所に勤務する警察官六名の沈着勇敢な行動を、後世に称えるべき功績として高く評価しています。
(明治座)
(甘酒横丁)
甘酒横丁の名は、徳川時代にこの地にあった甘酒屋から由来したそうです。
(蛎殻銀座跡[かきがらぎんざあと])
現在の銀座二丁目にあった“銀座”という江戸時代の組織(銀貨の製造工場と銀貨の検査や銀地金の調達を行う、造幣局の様なもの)が、1800年11月に蛎殻町に再発足し、その後「蛎殻銀座」と呼ばれ続けたとのことです。
(谷崎潤一郎生誕の地)
明治末期から昭和中期まで活躍した小説家ですが、自分は作品を読んだことがありません。
(鯨と海と人形町)
あやつり人形のバネは、鯨のヒゲが使用されているとのことです。
なので、人形町は、鯨ととても深い関係なんですね。
(小網神社[こあみじんじゃ])
“強運厄除”としてご利益があり、「東京八社福参り」の一つだと知りました。
本日最後に訪れた水天宮も「東京八社福参り」の一つで、“安産子授け”にご利益があるとのことです。
(人形町通り)
通りには、この様な時計塔があります。
やっぱり中央区は、華やかさがありますね。
(鉄造菩薩頭 大観音寺[おおがんのんじ])
鉄製の巨大な観音様の頭部(鉄造菩薩頭)が安置されていることで有名です。
このお寺は「江戸三十三札所巡り」で訪れているので、今日は、外観の撮影だけです。
階段の脇に、“防火用井戸”がありました。
いざとなると、水道管からの給水より、井戸水の方が確実かもしれません。
(玄冶店跡[げんやだなあと]
江戸時代の初期に、幕府の顧問医師である「岡本玄冶」の拝領屋敷があったとのことです。
三代将軍の家光が大病になり、色々と手を尽くして効果がなかった時に、玄冶の作った薬で治り、白銀二百枚が与えられたそうです。
(江戸伝馬町処刑場跡-大安楽寺内[だいあんらくじ])
(伝馬町牢屋敷跡と吉田松陰終焉の地)
道路を挟んだ大安楽寺の前には、十思[じっし]公園があります。
この公園は、伝馬町牢屋敷跡で長州藩士の吉田松陰[よしだしょういん]も、収容されていたとのことです。
江戸幕府が行った弾圧(安政の大獄)で、処刑されてしまいました。
そして、同じく十思公園内には、“時の鐘”というものがあります。
時の鐘というのは、江戸時代に、時刻を知らせるために衝いたものです。
ちなみに、この“時報料”は有料で、聞こえる範囲の地域に住んでいる住民から徴収されたとのことです。
現在公園内にあるこの時の鐘は、小伝馬町ではなく、石町[こくちょう](現在の日本橋室町4丁目付近)という所にありました。
明治4年に時の鐘が廃止され、鐘は近くの屋敷の庭においてあったものを、昭和5年にここに鐘楼を建てて移設したということです。
また、この“時の鐘”は処刑執行の合図にも使用されていたとのことです。
(三井本館)
(日本銀行)
建物(敷地)が広すぎて、1枚の写真には、収まりません。
(三越劇場)
(日本橋)
日本の道路の起点となるところです。
里程標[りていひょう]に書かれている単位の粁は、キロメートルと読みます。
日本橋魚市場発祥の地
(白雪ビル)
ビルの外壁に富士山の絵が描かれています。
調べたところ、日本酒「白雪」で有名な「小西酒造」に関係しているとのことです。
日本酒「白雪」のキャッチフレーズは、“山は富士、酒は白雪”です。
ビルの名前も“白雪ビル”と名付けられていて、粋ですね。
(水天宮)
やはり、カップル連れや妊婦さんが目立ちます。
可愛い「安産子育河童」の石像。
子供は3河童います。(おんぶに抱っこに、脚の裏)
今日の散策は、かなりの汗をかいて疲れましたが、ちょっとは脚が強くなったかなぁ。
ネーミングがおもしろいですね。
人助け橋、人形町、甘酒横町。(o^∀^o)
日本酒の小西酒造ビルのネーミングも白雪ビルって洒落てるね。
by yosi (2012-09-12 10:15)
yosiさん、お久しぶりです。
街中にある色々な物の名前は、古い歴史の中でそれぞれに由来がある様です。
現地の説明書きやインターネットを使い、紐解いて調べたりしますが、苦手な日本史のことや関わってくる人物など、理解するのが難しいです。
ところで、これからツーリングには、良い時期になってきましたね。
by いっとく (2012-09-12 19:42)