今日の1万歩ウォーキング(小松川境川親水公園) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成28年6月4日(土) 晴れ
久しぶりに歩いた今日の1万歩ウォーキングコースは、江戸川区内にある「小松川境川親水公園」という公園です。
全長3,930メートルにもおよぶ親水公園内の緑道は強い日差しを和らげて、そして、川のせせらぎは一時心を癒やしてくれます。
とても良い印象の公園でした。
では、そんな親水公園を上流から下っていきましょう。
ここは、「本一色一丁目」という地名側のスタート地点で、ここから親水公園が始まります。
この位置より、東南側に800mほど離れた場所(中央四丁目)にも、小松川境川親水公園の起点があり、二方向から流れる川は、やがて合流してひとつの親水公園になります。
途中には、ワイヤーロープで吊った吊橋もあります。
横断する道路などで寸断される箇所は、この様な暗渠式の構造で川の水を流しています。
本物の“カニ”かと思いきや、石造りのカニでした。
全体的には一定の勾配で水が流れていますが、段差を設けて水のせせらぎを発生させている箇所もありました。
アスレチックの遊具もあり、楽しそうなエリアです。
途中、国道14号線(京葉道路)を横断する箇所は、橋の下が親水公園になっています。
ここが公園の終点(西小松川町)で、この先は中川という河川になります。
親水公園として整備される前は、この小松川境川の水は中川に流れていた様です。
そうそう、親水公園の緑道上で見かけたマンホール蓋の図案は、そのまんまの親水公園の絵柄でした。
さて、次の記録内容は、小松菜屋敷と新小岩香取神社です。
そうなんです。
小松菜屋敷とは、小松菜の発祥の地と言われている屋敷なのです。
八代目将軍徳川吉宗が鷹狩りに訪れた際 、小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主・亀井和泉守の屋敷跡だそうです。
また、隣の香取神社境内には、小松菜ゆかりの里という石碑があります。
そして、これが新小岩香取神社と境内の様子です。
小松菜産土神(こまつなうぶすながみ)の碑ですが、、産土神とは、生まれた土地を領有、守護する神様なのだそうです。
そして、左側にある小松菜の名前の由来を示す案内板ですが、JA東京グループの建てた「江戸・東京の農業野外説明板」と呼ばれ、都内には50ヶ所あるそうです。
この様な案内板を目にしたのは今回が初めてで、この案内板めぐりも面白いかも。
大雷神は、俗に「一之江の一つかみなり」と称され往古より当地の農業文化に深い貢献を施し深く信仰を重ね、その使命を果たしてまいり…と、あります。
末社の鷲神社では、毎年11月の酉の日に盛大なお祭りが行われているとのことです。
小松川と言う地名に由来している「小松菜」や小松川出身の「小松みどり」さん。
そんな小松川をちょっと知った「小松川境川親水公園」でした。
さて、今回のコースに訪れた目的の二つ目は、「首都高小松川ジャンクション整備工事」の確認がありました。
中央環状線(C2)と7号小松川線の京葉道路方向をつなぐ工事ですが、ライフラインの移設工事の関連で平成26年の1年間、業務で関わった現場です。
高速道路の上部工事は、まだ先ですが下の側道部分はかなり工事が進んでいました。
当初からインフラ移設の困難な検討を行った経緯を記憶していますが、何とか形になってきて良かった。
そして、最後の目的地は江戸川競艇場、通称「ボートレース江戸川」の施設見学です。
競艇や競馬などは一切やっていませんが、施設の入口には大魔神像があることを知り、また、中川のレース場の様子も見たいと思い訪れました。
本日はレースが行われていないため、レース場の様子が見れませんでした。
また、はずれ舟券を食べるヤギロボットの「マッシロー」も見れなくて残念。
下の画像が「マッシロー」です。
でっ、実際目にできた「大魔神像」です。
実物大の魔神像、でかっ!
テレビの再放送で見た温和な「武神像」と怒りの「魔神像」の二体です。
4.5メートルという巨大なもので、台座も含めると全高は5.7メートルあります。
どの様な理由で建てられたのかは解りませんが、レース前の平静な心とレース後に負けて怒りをあらわにした二面性を表現したものと、小生は分析をしましたが、真相はいかに。
本日歩いたコース、JR新小岩駅から歩いた距離とボートレース江戸川から10分ほど歩いたバス停(帰路)までの距離も含めて、本日は11,566歩(約7.3km)歩きました。
以上で今日のウォーキングの記録は終わりですが、次回以降の散策は、両国歴史散歩「高札めぐり」を考えています。
そうそう、5月のGWで帰省をした時に実家からもらってきたカエデが良い感じに育っています。
大きい鉢の方の苔が赤茶色に変色してきましたが、大きく育って欲しいな。
久しぶりに歩いた今日の1万歩ウォーキングコースは、江戸川区内にある「小松川境川親水公園」という公園です。
全長3,930メートルにもおよぶ親水公園内の緑道は強い日差しを和らげて、そして、川のせせらぎは一時心を癒やしてくれます。
とても良い印象の公園でした。
では、そんな親水公園を上流から下っていきましょう。
ここは、「本一色一丁目」という地名側のスタート地点で、ここから親水公園が始まります。
この位置より、東南側に800mほど離れた場所(中央四丁目)にも、小松川境川親水公園の起点があり、二方向から流れる川は、やがて合流してひとつの親水公園になります。
途中には、ワイヤーロープで吊った吊橋もあります。
横断する道路などで寸断される箇所は、この様な暗渠式の構造で川の水を流しています。
本物の“カニ”かと思いきや、石造りのカニでした。
全体的には一定の勾配で水が流れていますが、段差を設けて水のせせらぎを発生させている箇所もありました。
アスレチックの遊具もあり、楽しそうなエリアです。
途中、国道14号線(京葉道路)を横断する箇所は、橋の下が親水公園になっています。
ここが公園の終点(西小松川町)で、この先は中川という河川になります。
親水公園として整備される前は、この小松川境川の水は中川に流れていた様です。
そうそう、親水公園の緑道上で見かけたマンホール蓋の図案は、そのまんまの親水公園の絵柄でした。
さて、次の記録内容は、小松菜屋敷と新小岩香取神社です。
そうなんです。
小松菜屋敷とは、小松菜の発祥の地と言われている屋敷なのです。
八代目将軍徳川吉宗が鷹狩りに訪れた際 、小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主・亀井和泉守の屋敷跡だそうです。
また、隣の香取神社境内には、小松菜ゆかりの里という石碑があります。
そして、これが新小岩香取神社と境内の様子です。
小松菜産土神(こまつなうぶすながみ)の碑ですが、、産土神とは、生まれた土地を領有、守護する神様なのだそうです。
そして、左側にある小松菜の名前の由来を示す案内板ですが、JA東京グループの建てた「江戸・東京の農業野外説明板」と呼ばれ、都内には50ヶ所あるそうです。
この様な案内板を目にしたのは今回が初めてで、この案内板めぐりも面白いかも。
大雷神は、俗に「一之江の一つかみなり」と称され往古より当地の農業文化に深い貢献を施し深く信仰を重ね、その使命を果たしてまいり…と、あります。
末社の鷲神社では、毎年11月の酉の日に盛大なお祭りが行われているとのことです。
小松川と言う地名に由来している「小松菜」や小松川出身の「小松みどり」さん。
そんな小松川をちょっと知った「小松川境川親水公園」でした。
さて、今回のコースに訪れた目的の二つ目は、「首都高小松川ジャンクション整備工事」の確認がありました。
中央環状線(C2)と7号小松川線の京葉道路方向をつなぐ工事ですが、ライフラインの移設工事の関連で平成26年の1年間、業務で関わった現場です。
高速道路の上部工事は、まだ先ですが下の側道部分はかなり工事が進んでいました。
当初からインフラ移設の困難な検討を行った経緯を記憶していますが、何とか形になってきて良かった。
そして、最後の目的地は江戸川競艇場、通称「ボートレース江戸川」の施設見学です。
競艇や競馬などは一切やっていませんが、施設の入口には大魔神像があることを知り、また、中川のレース場の様子も見たいと思い訪れました。
本日はレースが行われていないため、レース場の様子が見れませんでした。
また、はずれ舟券を食べるヤギロボットの「マッシロー」も見れなくて残念。
下の画像が「マッシロー」です。
でっ、実際目にできた「大魔神像」です。
実物大の魔神像、でかっ!
テレビの再放送で見た温和な「武神像」と怒りの「魔神像」の二体です。
4.5メートルという巨大なもので、台座も含めると全高は5.7メートルあります。
どの様な理由で建てられたのかは解りませんが、レース前の平静な心とレース後に負けて怒りをあらわにした二面性を表現したものと、小生は分析をしましたが、真相はいかに。
本日歩いたコース、JR新小岩駅から歩いた距離とボートレース江戸川から10分ほど歩いたバス停(帰路)までの距離も含めて、本日は11,566歩(約7.3km)歩きました。
以上で今日のウォーキングの記録は終わりですが、次回以降の散策は、両国歴史散歩「高札めぐり」を考えています。
そうそう、5月のGWで帰省をした時に実家からもらってきたカエデが良い感じに育っています。
大きい鉢の方の苔が赤茶色に変色してきましたが、大きく育って欲しいな。
旧中川水辺公園と大島小松川公園のウォーキング [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成28年5月3日(火) 晴れ
実家への帰省から自宅に戻ってきた今日は、久しぶりに1万歩ウォーキングを楽しんできました。
今回のウォーキングコースは、いつもの様に自宅付近の「旧中川水辺公園」からスタート。
今の時期は、ツツジの花が特に目立つコースです。
そして、最近では水中を漂うクラゲを多く見かけます。
「ふれあい橋」を渡った先には、旧中川水辺公園と並行する「亀戸九丁目緑道公園」があり、緑が多く、とても歩きやすい緑道になっています。
さらに、歩いて行くと都営新宿線の東大島駅の北側には、旧中川を挟んで「大島小松川公園」という広大な公園があります。
ここ大島小松川公園には、サッカー場や野球場そしてスポーツ広場もあります。
新大橋通りに架かる船堀橋を渡り対岸の江戸川区側へ移動すると、「旧中川河川敷ボランティア花畑」という小さな花畑があります。
そこには、ポピーやマーガレット、そして、あやめなどが咲き乱れています。
大島小松川公園の南地区に位置する「風の広場」には、いくつかの藤棚と「旧小松川閘門(こうもん)」という特殊な水門の跡を見ることができます。
説明書きによると、建物全体の2/3が土中に埋まっているそうです。
昔は、荒川と旧中川の水位差を解消させ、船の往来を可能にしていた水門です。
現在は、「荒川ロックゲート」と呼ばれる閘門が、その役目を受け継いでいます。
そして、これが「荒川ロックゲート」の全景です。
ここ荒川河川敷は、サイクリングロードも整備されており、多くの人がサイクリングを楽しんでいます。
また、この場所はサイクリングの休憩ポイントにもなっている様です。
限られた時間には階段の通路が開放されており、ロックゲートの最上階まで上ることができます。
荒川の下流に架かる「葛西橋」や「清砂大橋」、そして左手には、首都高速中央環状線などを眺めることができます。
帰りは、都営新宿線の東大島駅まで歩き、都バスに乗って帰宅しました。
やっぱり、「旧中川水辺公園」のウォーキングコースが一番好き。
本日の総歩行数は、10,962歩でした。
実家への帰省から自宅に戻ってきた今日は、久しぶりに1万歩ウォーキングを楽しんできました。
今回のウォーキングコースは、いつもの様に自宅付近の「旧中川水辺公園」からスタート。
今の時期は、ツツジの花が特に目立つコースです。
そして、最近では水中を漂うクラゲを多く見かけます。
「ふれあい橋」を渡った先には、旧中川水辺公園と並行する「亀戸九丁目緑道公園」があり、緑が多く、とても歩きやすい緑道になっています。
さらに、歩いて行くと都営新宿線の東大島駅の北側には、旧中川を挟んで「大島小松川公園」という広大な公園があります。
ここ大島小松川公園には、サッカー場や野球場そしてスポーツ広場もあります。
新大橋通りに架かる船堀橋を渡り対岸の江戸川区側へ移動すると、「旧中川河川敷ボランティア花畑」という小さな花畑があります。
そこには、ポピーやマーガレット、そして、あやめなどが咲き乱れています。
大島小松川公園の南地区に位置する「風の広場」には、いくつかの藤棚と「旧小松川閘門(こうもん)」という特殊な水門の跡を見ることができます。
説明書きによると、建物全体の2/3が土中に埋まっているそうです。
昔は、荒川と旧中川の水位差を解消させ、船の往来を可能にしていた水門です。
現在は、「荒川ロックゲート」と呼ばれる閘門が、その役目を受け継いでいます。
そして、これが「荒川ロックゲート」の全景です。
ここ荒川河川敷は、サイクリングロードも整備されており、多くの人がサイクリングを楽しんでいます。
また、この場所はサイクリングの休憩ポイントにもなっている様です。
限られた時間には階段の通路が開放されており、ロックゲートの最上階まで上ることができます。
荒川の下流に架かる「葛西橋」や「清砂大橋」、そして左手には、首都高速中央環状線などを眺めることができます。
帰りは、都営新宿線の東大島駅まで歩き、都バスに乗って帰宅しました。
やっぱり、「旧中川水辺公園」のウォーキングコースが一番好き。
本日の総歩行数は、10,962歩でした。
今日の散策ウォーキング(浅草寺編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成28年3月18日(金)
前回のブログ記事からの続きで、浅草寺周辺の散策記です。
隅田公園を散策した後、吾妻橋のたもとに到着。
橋のたもとには「招き猫のそらちゃん」というオブジェがありますが、今まで気にしていなかった目玉のレンズがとても気になり、覗いてみることにしました。
ちょっとレンズが汚いけれど、魚眼レンズの様に見える景色が面白い。
交差点の信号待ちの時に久しぶりに見上げた「浅草松屋」の建物。
地下鉄入口のオブジェも気になりパチリ。
今日も仲見世通りは、たくさんの観光客で大賑わい。
相変わらず、外国の観光客に人気の高い”忍者グッズ”が多いですね。ニンニン!
何々? 浅草寺の本堂前では、いつもと違う多くの人だかりと神輿が見えます。
何と、今日3月18日は、浅草寺本尊示現会(せんそうじ-ほんぞんじげんえ)という、行事の日なのだそうです。
でっ、後で調べたら推古天皇36年(628)に当寺のご本尊の観音さまが、隅田川よりご示現された浅草寺開創を祝う聖日である。と知りました。
偶然にも、この様な大層な日に巡りあうとは…、ありがたや~。
また、本堂外陣に一夜お籠もりされた宮神輿3基は、翌日(18日)の法要後「堂下げ」され、行列にて本堂周辺を練り歩き、浅草神社へお戻りになる。という、行列も間近で見ることができました。
神輿の鳳凰の下には、神輿番号を示す「一之宮」という文字が見えます。
にしても、こんな間近で見られて良かった。
こうして、三ノ宮の神輿も続く行列は、浅草神社の方へと練り歩いて行きました。
実は、先日浅草寺に訪れた際に引いたおみくじが、生まれて初めての「凶」だったので、相当にヘコんでいましたが、これを機に今年一年無事に過ごせればと思いました。
この後、浅草寺周辺の境内をぶらぶらしていると、二回目の人だかりを発見!
何々って、近づいていくと何かのロケの最中です。
情報番組のロケ収録の様でした。
今日は色々な発見や巡り合いのあったウォーキングでした。
そして、本日の歩行数は14,149歩(8.9km)でした。
そうそう、東京謎解きツアーの方は、あれから随分と進展があり、現在は最終章の謎解きで苦戦中です。
前回のブログ記事からの続きで、浅草寺周辺の散策記です。
隅田公園を散策した後、吾妻橋のたもとに到着。
橋のたもとには「招き猫のそらちゃん」というオブジェがありますが、今まで気にしていなかった目玉のレンズがとても気になり、覗いてみることにしました。
ちょっとレンズが汚いけれど、魚眼レンズの様に見える景色が面白い。
交差点の信号待ちの時に久しぶりに見上げた「浅草松屋」の建物。
地下鉄入口のオブジェも気になりパチリ。
今日も仲見世通りは、たくさんの観光客で大賑わい。
相変わらず、外国の観光客に人気の高い”忍者グッズ”が多いですね。ニンニン!
何々? 浅草寺の本堂前では、いつもと違う多くの人だかりと神輿が見えます。
何と、今日3月18日は、浅草寺本尊示現会(せんそうじ-ほんぞんじげんえ)という、行事の日なのだそうです。
でっ、後で調べたら推古天皇36年(628)に当寺のご本尊の観音さまが、隅田川よりご示現された浅草寺開創を祝う聖日である。と知りました。
偶然にも、この様な大層な日に巡りあうとは…、ありがたや~。
また、本堂外陣に一夜お籠もりされた宮神輿3基は、翌日(18日)の法要後「堂下げ」され、行列にて本堂周辺を練り歩き、浅草神社へお戻りになる。という、行列も間近で見ることができました。
神輿の鳳凰の下には、神輿番号を示す「一之宮」という文字が見えます。
にしても、こんな間近で見られて良かった。
こうして、三ノ宮の神輿も続く行列は、浅草神社の方へと練り歩いて行きました。
実は、先日浅草寺に訪れた際に引いたおみくじが、生まれて初めての「凶」だったので、相当にヘコんでいましたが、これを機に今年一年無事に過ごせればと思いました。
この後、浅草寺周辺の境内をぶらぶらしていると、二回目の人だかりを発見!
何々って、近づいていくと何かのロケの最中です。
情報番組のロケ収録の様でした。
今日は色々な発見や巡り合いのあったウォーキングでした。
そして、本日の歩行数は14,149歩(8.9km)でした。
そうそう、東京謎解きツアーの方は、あれから随分と進展があり、現在は最終章の謎解きで苦戦中です。
今日の散策ウォーキング(大横川親水公園~隅田公園編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成28年3月18日(金)
今朝は天気も良く、暖かいウォーキング日和です。
桜の開花時期には少し早いのですが、JR錦糸町駅を下車してお気に入りの散歩コースのひとつになっている大横川親水公園から浅草寺へと歩きました。
大横川親水公園は、桜や紅葉の時期に歩くのがお薦めのコースです。
墨田区内を流れていた大横川の多くの部分を埋め立てて造られた親水公園なので、当時架かっていた橋の一部が記念のオブジェとして何箇所か残っています。
長崎橋跡
1697年に架けられた当時は、長さ18m、幅4.5mの木橋だったそうです。
清平橋跡
平成23年、老朽化のため鋼橋から現在のコンクリート橋に架け替えられたとのことです。
平川橋跡
こちらの平川橋もやはり平成24年に架け替えられました。
また、旧河川の擁壁や法面などを利用した壁画やタイル画がたくさん見られます。
そして、水場がたくさんあるので逆さツリーを見ることができます。
公園の途中では、僅かに咲いていた梅の花を見ることができました。
さて、ここからは場所が変わり、隅田公園の状況です。
墨田区側にある隅田公園ですが、池の水量は少なく目立った花も見られませんでした。
しかし、台東区側の隅田公園では、数本の大寒桜(おおかんざくら)の花を見ることができました。
山の宿の渡し跡
今まで、気付かなかった「スズムシ等の観察地」
パラボラアンテナの様な形のオブジェですが、「グリーンプラネット」という名のフラワーポットなのですが…
底の部分に空いている穴から覗き込むと…ほぉ~。
視界に入る桜の花が満開の時期は、眺めが良さそうです。
こちらも、台東区側の隅田公園内で見つけたものですが、ほとんど気づかない街燈の上に”それは”ありました。
街燈の根本には、”下町の心意気をここに灯す”「浅草有志会」という、文字が刻まれています。
でっ、上空に目線を移すと…何とセミっ!
もう一本隣りの街燈にダッシュ…お~、こっちは”カブトムシ”じゃん。
周りを見回すと、同じ街燈はこの二本だけの様です。
引き返して上流側の方に歩いて行けば、まだあるのかなぁ~?
次回の散策時に残して、吾妻橋の方向へと歩いて行きました。
今朝は天気も良く、暖かいウォーキング日和です。
桜の開花時期には少し早いのですが、JR錦糸町駅を下車してお気に入りの散歩コースのひとつになっている大横川親水公園から浅草寺へと歩きました。
大横川親水公園は、桜や紅葉の時期に歩くのがお薦めのコースです。
墨田区内を流れていた大横川の多くの部分を埋め立てて造られた親水公園なので、当時架かっていた橋の一部が記念のオブジェとして何箇所か残っています。
長崎橋跡
1697年に架けられた当時は、長さ18m、幅4.5mの木橋だったそうです。
清平橋跡
平成23年、老朽化のため鋼橋から現在のコンクリート橋に架け替えられたとのことです。
平川橋跡
こちらの平川橋もやはり平成24年に架け替えられました。
また、旧河川の擁壁や法面などを利用した壁画やタイル画がたくさん見られます。
そして、水場がたくさんあるので逆さツリーを見ることができます。
公園の途中では、僅かに咲いていた梅の花を見ることができました。
さて、ここからは場所が変わり、隅田公園の状況です。
墨田区側にある隅田公園ですが、池の水量は少なく目立った花も見られませんでした。
しかし、台東区側の隅田公園では、数本の大寒桜(おおかんざくら)の花を見ることができました。
山の宿の渡し跡
今まで、気付かなかった「スズムシ等の観察地」
パラボラアンテナの様な形のオブジェですが、「グリーンプラネット」という名のフラワーポットなのですが…
底の部分に空いている穴から覗き込むと…ほぉ~。
視界に入る桜の花が満開の時期は、眺めが良さそうです。
こちらも、台東区側の隅田公園内で見つけたものですが、ほとんど気づかない街燈の上に”それは”ありました。
街燈の根本には、”下町の心意気をここに灯す”「浅草有志会」という、文字が刻まれています。
でっ、上空に目線を移すと…何とセミっ!
もう一本隣りの街燈にダッシュ…お~、こっちは”カブトムシ”じゃん。
周りを見回すと、同じ街燈はこの二本だけの様です。
引き返して上流側の方に歩いて行けば、まだあるのかなぁ~?
次回の散策時に残して、吾妻橋の方向へと歩いて行きました。
今日の散歩道(紅葉編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年11月21日(土) 晴れ
久しぶりに週末の天気が晴天になりました。
今朝は、最近気になっていた「大横川親水公園」の紅葉を見に行ってきました。
JR錦糸町駅から「大横川親水公園」へと歩き、その後は浅草までウォーキングしてきました。
・
・
・
緑道の橋の上でまったりとしている猫、いいなぁ~。
親水公園一帯は、秋一色という感じでした。
空を見上げると、スカイツリーの周辺には「すじ雲」と言う秋空に見られる雲が見れました。
隅田川に架かる「桜橋」から見たスカイツリーも、雲が少なめの秋空でした。
隅田川テラスから見た太陽の高さは、ちょうど350mの展望デッキと同じでした。
吾妻橋近くの桜の木の葉も良い感じに紅葉していました。
浅草雷門の前は、今日もたくさんの人でいっぱいでした。
浅草オレンジ通りのマスコット「オレンテくん」です。
11月29日(日)の 17時頃には、毎年恒例のオレンジ通りイルミネーションの点灯式が行われるとのことです。
今年のイルミネーションは、デザインが一新され、“オレンテくん”も出没する予定とか。
今日の総歩数は、約1万歩でした。
久しぶりに週末の天気が晴天になりました。
今朝は、最近気になっていた「大横川親水公園」の紅葉を見に行ってきました。
JR錦糸町駅から「大横川親水公園」へと歩き、その後は浅草までウォーキングしてきました。
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緑道の橋の上でまったりとしている猫、いいなぁ~。
親水公園一帯は、秋一色という感じでした。
空を見上げると、スカイツリーの周辺には「すじ雲」と言う秋空に見られる雲が見れました。
隅田川に架かる「桜橋」から見たスカイツリーも、雲が少なめの秋空でした。
隅田川テラスから見た太陽の高さは、ちょうど350mの展望デッキと同じでした。
吾妻橋近くの桜の木の葉も良い感じに紅葉していました。
浅草雷門の前は、今日もたくさんの人でいっぱいでした。
浅草オレンジ通りのマスコット「オレンテくん」です。
11月29日(日)の 17時頃には、毎年恒例のオレンジ通りイルミネーションの点灯式が行われるとのことです。
今年のイルミネーションは、デザインが一新され、“オレンテくん”も出没する予定とか。
今日の総歩数は、約1万歩でした。
竪川河川敷公園のウォーキング [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年11月3日(火) 晴れ
久しぶりに、早朝ウォーキングをしてきました。
今日は、自宅付近を流れている旧中川の遊歩道を歩いて行き、「竪川(たてかわ)河川敷公園」へとウォーキングしてきました。
対岸の亀戸中央公園の木々も紅葉が始まった様です。
.
久しぶりに「ふれあい橋」の上から見たスカイツリー。
東京地方の紅葉の見頃は、来週末頃でしょうか?
「竪川河川敷公園」は、首都高速7号線の高架下を流れていた竪川を埋め立てて造られました。
明治通りの手前、大島4丁目付近のこの地には路面電車が走っていました。
当時のレール跡と説明板。
1972 年に全線廃止となった都電砂町線29 系統 / 38 系統の廃線跡の一部です。
ここ、竪川人道橋より南側は「大島緑道公園」ですが、紅葉の今の時期は歩きたくなる様な緑道です。
これは、夏に活躍する水遊び場の噴水元です。
水遊び場なので、この様な橋もあります。
「歌川豊国」の生地はこの付近とのことです。
明治通りに架かる五之橋の下(緑道部)には、この様な浮世絵が飾られています。
で、下から見上げた五之橋(都道明治通り)の欄干部分です。
さらに、西側(隅田川方面)へ進むと、JRの貨物支線の竪川橋梁を見ることができます。
1929年(昭和4年)に完成した年代物です。
そして、今はオフシーズン中のカヤック練習場がすぐ近くにあります。
少し歩いて行くと、横十間川という運河に突き当たり「竪川河川敷公園」は、ここで終わりです。
横十間川に架かる「旅所橋(たびしょばし)」から見た風景。
久しぶりに、早朝ウォーキングをしてきました。
今日は、自宅付近を流れている旧中川の遊歩道を歩いて行き、「竪川(たてかわ)河川敷公園」へとウォーキングしてきました。
対岸の亀戸中央公園の木々も紅葉が始まった様です。
.
久しぶりに「ふれあい橋」の上から見たスカイツリー。
東京地方の紅葉の見頃は、来週末頃でしょうか?
「竪川河川敷公園」は、首都高速7号線の高架下を流れていた竪川を埋め立てて造られました。
明治通りの手前、大島4丁目付近のこの地には路面電車が走っていました。
当時のレール跡と説明板。
1972 年に全線廃止となった都電砂町線29 系統 / 38 系統の廃線跡の一部です。
ここ、竪川人道橋より南側は「大島緑道公園」ですが、紅葉の今の時期は歩きたくなる様な緑道です。
これは、夏に活躍する水遊び場の噴水元です。
水遊び場なので、この様な橋もあります。
「歌川豊国」の生地はこの付近とのことです。
明治通りに架かる五之橋の下(緑道部)には、この様な浮世絵が飾られています。
で、下から見上げた五之橋(都道明治通り)の欄干部分です。
さらに、西側(隅田川方面)へ進むと、JRの貨物支線の竪川橋梁を見ることができます。
1929年(昭和4年)に完成した年代物です。
そして、今はオフシーズン中のカヤック練習場がすぐ近くにあります。
少し歩いて行くと、横十間川という運河に突き当たり「竪川河川敷公園」は、ここで終わりです。
横十間川に架かる「旅所橋(たびしょばし)」から見た風景。
散策ウォーキング(左衛門橋~吾妻橋) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年10月3日(土) 晴れ
暑い夏がやっと終わり、少し涼しい季節になりました。
今まで中断をしていた散策ウォーキングも少しずつ再開できれば、ということで今日は台東区内をウォーキングしてきました。
今回のウォーキングで参考にしたマップは、台東区のホームページから入手した“橋めぐりコース”です。
JR浅草橋駅をスタートし、吾妻橋に到着した後は、浅草寺周辺を散策しました。
(左衛門橋)
神田川に架かる左衛門橋からは、多くの繋留した屋形船を見ることができます。
(郡代屋敷[ぐんだいやしき]跡)
徴税・司法・軍事等の職務を担当していた地方行政官の様な、“お代官様”が住んでいた屋敷跡なのだそうです。
(浅草橋からの眺め)
先ほどの左衛門橋から神田川の一つ下流側に架かっている浅草橋から眺めた様子で、「浅草橋」は地名にもなっています。
また、日本橋と浅草を結んでいたことから「浅草橋」という橋の名前になったとのことです。
(浅草見附跡)
見附とは、城門を警護する番兵が通行人を見張っていた場所のことなのだそうです。
この「浅草橋」は、五街道の日光・奥州街道の橋として非常に往来の多い橋梁であったため、見附があったんですね。
現在でも浅草橋を通る道路は、国道6号として交通量が多い道路になっています。
また、江戸市中には、この様な場所が三十六ヶ所もあったそうです。
地名や駅名にもなっている「赤坂見附」もその一つなんです。
そして、見附は、“見つける”や“見付ける”、“見附る”という言葉からきてるんです。
(神田川)
神田川の最下流に架かっている「柳橋」を目指して、川沿いの細い道を歩いていきます。
季節は、もう秋。赤トンボがたくさん飛んでいました。
「柳橋」にもたくさんの由緒がある様ですが、橋の欄干の部分に「かんざし」が施されているのが最大の特徴です。
江戸時代には奥州街道の旅館街として神田川対岸の両国(現在の東日本橋周辺)と共に、江戸最大の繁華街として賑わっていた様です。
芸妓が移住し花街が形成され栄えたことから、芸者のシンボルマークである「かんざし」が橋の欄干に施されているんですね。
ウォーキングコースは、神田川沿いの道から隅田川テラスへと移ります。
先ほどの「柳橋」から近いこともあり、隅田川テラスのフェンスのデザインは、柳の木と屋形船になっています。
他にも相撲の決まり手や色々なものがデザイン化されており、このフェンス模様を見て歩くだけでも楽しいです。
両国橋から蔵前橋区間のテラスはいつも墨田区側を歩いているので、台東区側を歩くのは今回が初めてです。
そのため、いくつか新たな発見をしました。
その一つが、この赤色の橋の欄干ですが、設置された経緯や詳細については不明です。
そして、防潮壁が「なまこ壁」と言われる土蔵の壁塗りに見立てたものを発見しました。
どうやら、この「家紋の掲示」と関係がありそうです。
こちらは、「家紋の掲示」の一部で、上杉景勝の家紋です。
灯籠の様なものも置かれており、いい感じです。
秋空に変わり、綺麗な黄色い蔵前橋とスカイツリー。
次も初めて目にする「首尾の松」で、蔵前橋のたもとに植えられています。
何度か枯れたりなどして植え替えられて、現在は七代目の松とのことです。
再び隅田川テラスに戻り、厩橋(うまやばし)で発見したものは…。
橋に施された色々な馬のデザインでした。
最も印象的だったのが、橋柱を飾るガラス細工の馬のデザインでした。
隅田川に架かる橋の中で地味な橋だと感じていましたが、とてもオシャレな橋だったんですね。
次の駒形橋に向かう途中でも初めて目にしたものが、以下の2枚です。
そして、駒形橋を写しゴールの吾妻橋へと歩いていきます。
隅田川テラスには、ススキや笹が植えられている箇所もあります。
以上で「橋めぐりコース」のウォーキングは、終了です。
この後は、浅草寺周辺を何箇所か散策しました。
地下鉄銀座線の浅草地下街を散策、時代の古さを感じます。
・
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久しぶりの散策ウォーキングで歩いた歩数は約12,500歩、そして、いくつか新たな発見ができたコースでした。
暑い夏がやっと終わり、少し涼しい季節になりました。
今まで中断をしていた散策ウォーキングも少しずつ再開できれば、ということで今日は台東区内をウォーキングしてきました。
今回のウォーキングで参考にしたマップは、台東区のホームページから入手した“橋めぐりコース”です。
JR浅草橋駅をスタートし、吾妻橋に到着した後は、浅草寺周辺を散策しました。
(左衛門橋)
神田川に架かる左衛門橋からは、多くの繋留した屋形船を見ることができます。
(郡代屋敷[ぐんだいやしき]跡)
徴税・司法・軍事等の職務を担当していた地方行政官の様な、“お代官様”が住んでいた屋敷跡なのだそうです。
(浅草橋からの眺め)
先ほどの左衛門橋から神田川の一つ下流側に架かっている浅草橋から眺めた様子で、「浅草橋」は地名にもなっています。
また、日本橋と浅草を結んでいたことから「浅草橋」という橋の名前になったとのことです。
(浅草見附跡)
見附とは、城門を警護する番兵が通行人を見張っていた場所のことなのだそうです。
この「浅草橋」は、五街道の日光・奥州街道の橋として非常に往来の多い橋梁であったため、見附があったんですね。
現在でも浅草橋を通る道路は、国道6号として交通量が多い道路になっています。
また、江戸市中には、この様な場所が三十六ヶ所もあったそうです。
地名や駅名にもなっている「赤坂見附」もその一つなんです。
そして、見附は、“見つける”や“見付ける”、“見附る”という言葉からきてるんです。
(神田川)
神田川の最下流に架かっている「柳橋」を目指して、川沿いの細い道を歩いていきます。
季節は、もう秋。赤トンボがたくさん飛んでいました。
「柳橋」にもたくさんの由緒がある様ですが、橋の欄干の部分に「かんざし」が施されているのが最大の特徴です。
江戸時代には奥州街道の旅館街として神田川対岸の両国(現在の東日本橋周辺)と共に、江戸最大の繁華街として賑わっていた様です。
芸妓が移住し花街が形成され栄えたことから、芸者のシンボルマークである「かんざし」が橋の欄干に施されているんですね。
ウォーキングコースは、神田川沿いの道から隅田川テラスへと移ります。
先ほどの「柳橋」から近いこともあり、隅田川テラスのフェンスのデザインは、柳の木と屋形船になっています。
他にも相撲の決まり手や色々なものがデザイン化されており、このフェンス模様を見て歩くだけでも楽しいです。
両国橋から蔵前橋区間のテラスはいつも墨田区側を歩いているので、台東区側を歩くのは今回が初めてです。
そのため、いくつか新たな発見をしました。
その一つが、この赤色の橋の欄干ですが、設置された経緯や詳細については不明です。
そして、防潮壁が「なまこ壁」と言われる土蔵の壁塗りに見立てたものを発見しました。
どうやら、この「家紋の掲示」と関係がありそうです。
こちらは、「家紋の掲示」の一部で、上杉景勝の家紋です。
灯籠の様なものも置かれており、いい感じです。
秋空に変わり、綺麗な黄色い蔵前橋とスカイツリー。
次も初めて目にする「首尾の松」で、蔵前橋のたもとに植えられています。
何度か枯れたりなどして植え替えられて、現在は七代目の松とのことです。
再び隅田川テラスに戻り、厩橋(うまやばし)で発見したものは…。
橋に施された色々な馬のデザインでした。
最も印象的だったのが、橋柱を飾るガラス細工の馬のデザインでした。
隅田川に架かる橋の中で地味な橋だと感じていましたが、とてもオシャレな橋だったんですね。
次の駒形橋に向かう途中でも初めて目にしたものが、以下の2枚です。
そして、駒形橋を写しゴールの吾妻橋へと歩いていきます。
隅田川テラスには、ススキや笹が植えられている箇所もあります。
以上で「橋めぐりコース」のウォーキングは、終了です。
この後は、浅草寺周辺を何箇所か散策しました。
地下鉄銀座線の浅草地下街を散策、時代の古さを感じます。
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久しぶりの散策ウォーキングで歩いた歩数は約12,500歩、そして、いくつか新たな発見ができたコースでした。
東京地方における花見のピークは、本日かな? [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
東京地方におけるソメイヨシノの見頃は、もう少し先。 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年3月27日(金)
ダーツの朝練を3時間行った後に、ソメイヨシノの開花状況の確認を含めてウォーキングをしてきました。
当初の予定では、桜の名所である仙台堀川公園という場所まで歩く予定でしたが、途中からルートを変えて約7kmほどのウォーキングとなりました。
旧中川沿いの河津桜の花は随分と散り、遅く開花した数本が花開いている状況でした。
空は快晴で、とても暖かい朝です。
亀戸九丁目の旧中川沿いにもソメイヨシノが十数本植わっており満開期には、桜の花越しにスカイツリーが見られるのですが、開花状況は一分咲きにも満たない状況でした。
代わりに3 月中旬~下旬が開花時期のモクレンの木を何本か見かけました。
白くて大きな花なので、遠くからでも良く目立ちます。
旧中川沿いの遊歩道は土道なので、今の時期はツクシやタンポポを多く見かけます。
コンクリート舗装の隅田川沿いのテラス道とは違って、色々な草花や鳥、昆虫などを多く見かけ歩いていてとても癒やされます。
遊歩道のルートは、旧中川から小名木川沿いへと変わっていきます。
明治通り上に架かる「進開橋」という所で、ルートを一般道路に変えてJR亀戸駅の方向を目指して歩いていきます。
途中、五之橋付近で竪川(たてかわ)河川敷公園をちょっと散策。
首都高速7号小松川線の下を流れる竪川の暗渠区間を河川敷公園として整備が進められていましたが、完了した様です。
何年か前に歩いた時にはまだ工事中だったので、旧中川の方からまた歩いてみようかな。
公園の片隅には、この様な人力車が展示されていました。
本日歩いたルートは、ダーツの朝練場があるJR亀戸駅から一旦JR平井駅まで戻り、一周する様なルートでウォーキングをしました。
ところで、ダーツのマイショップを秋葉原店から亀戸店に変えて、朝練の修行を続けていますが、カウントアップが自己最高点の565点をマークしました。
また、BULLへの命中率やLOW TONの取得率も少しづつ上がってきています。
雑念を払って一点に集中するひと時、たまにはこの様な過ごし方もいいかな。
ダーツの朝練を3時間行った後に、ソメイヨシノの開花状況の確認を含めてウォーキングをしてきました。
当初の予定では、桜の名所である仙台堀川公園という場所まで歩く予定でしたが、途中からルートを変えて約7kmほどのウォーキングとなりました。
旧中川沿いの河津桜の花は随分と散り、遅く開花した数本が花開いている状況でした。
空は快晴で、とても暖かい朝です。
亀戸九丁目の旧中川沿いにもソメイヨシノが十数本植わっており満開期には、桜の花越しにスカイツリーが見られるのですが、開花状況は一分咲きにも満たない状況でした。
代わりに3 月中旬~下旬が開花時期のモクレンの木を何本か見かけました。
白くて大きな花なので、遠くからでも良く目立ちます。
旧中川沿いの遊歩道は土道なので、今の時期はツクシやタンポポを多く見かけます。
コンクリート舗装の隅田川沿いのテラス道とは違って、色々な草花や鳥、昆虫などを多く見かけ歩いていてとても癒やされます。
遊歩道のルートは、旧中川から小名木川沿いへと変わっていきます。
明治通り上に架かる「進開橋」という所で、ルートを一般道路に変えてJR亀戸駅の方向を目指して歩いていきます。
途中、五之橋付近で竪川(たてかわ)河川敷公園をちょっと散策。
首都高速7号小松川線の下を流れる竪川の暗渠区間を河川敷公園として整備が進められていましたが、完了した様です。
何年か前に歩いた時にはまだ工事中だったので、旧中川の方からまた歩いてみようかな。
公園の片隅には、この様な人力車が展示されていました。
本日歩いたルートは、ダーツの朝練場があるJR亀戸駅から一旦JR平井駅まで戻り、一周する様なルートでウォーキングをしました。
ところで、ダーツのマイショップを秋葉原店から亀戸店に変えて、朝練の修行を続けていますが、カウントアップが自己最高点の565点をマークしました。
また、BULLへの命中率やLOW TONの取得率も少しづつ上がってきています。
雑念を払って一点に集中するひと時、たまにはこの様な過ごし方もいいかな。
文京区本郷の散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年3月20日(金)
今日は地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅を起点に、東京大学を一周する様なルートで散策をしてきました。
3月8日で湯島天神の梅まつりは終わりましたが、境内の梅はまだまだ見頃の様です。
不忍池のほとりでは、雛菊桜(ひなぎくざくら)という種類の桜の花を見ることができました。
3月下旬が開花期で、ソメイヨシノより一足先に見頃を迎える桜です。
東京大学の池之端門脇に「境稲荷神社」があり、神社の裏(北側)に「弁慶鏡ケ井戸」と言う井戸があります。
「銘水」・・・井戸を大切に使いましょう。と、書いてありますが飲めない様です。
歩道側から見た、竹久夢二美術館と弥生美術館の状況です。
弥生式土器発掘ゆかりの地碑
明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。
これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名(弥生町)を取り「弥生式土器」と名付けられた。
「ちいさい秋みつけた」などの童謡作詞家、サトウハチロー氏が住んでいた旧居跡が文京区弥生町にあります。
根津小学校の裏手側に「お化け階段」と云われる階段があります。
上りと下りの階段の数が変わってしまう、という噂です。
具体的には、40段あった上り階段が降りる時に数えると一段足りない39段になってしまうのです。
手すりの左右、どちら側の階段でも同じ現象がおきます。
念のため二回、階段の段数を数えながら上り降りしましたが、二回とも下り階段が一段足りません・・・。
・
・
・
この後は、根津神社へ向かいました。
境内では、梅と桜の花を両方見ることができました。
夏目漱石旧居跡(猫の家)
ここには、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んでおり、この間に『我輩は猫である』を執筆し、この旧居が作品の舞台になった。と言うことです。
この後は、本郷通りの西側エリアの散策です。
石川啄木が下宿した蓋平館(がいへいかん)別館跡
「太栄館」の前に石川啄木の歌碑があります。
「東海の小島の 磯の白砂に 我泣き濡れて 蟹とたはむる」
蓋平館は、昭和10年頃大栄館と名称が変ったが、その建物は昭和29年の失火で焼けた。
今まで自分が思っていた以上に、文豪「石川啄木」は、生活面で苦労をしていたんですね。
・
・
・
小説家の「樋口一葉」も生活が苦しかった様です。
家計をやりくりするために通ったという旧伊勢屋質店の土蔵です。
本日の散策ルート、約7kmくらい歩いたかな。
文京区は、多くの文人が住み、この地を舞台に数々の名作を著作し、文教の地としての厚みを一層増したと言われています。
また、この様な文人の活躍などから、文の京(みやこ)⇒文京区という区名になったと言うことです。
今日は、明治時代に活躍した文人たちに“ほんの少し”触れることができたという散策でした。
今日は地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅を起点に、東京大学を一周する様なルートで散策をしてきました。
3月8日で湯島天神の梅まつりは終わりましたが、境内の梅はまだまだ見頃の様です。
不忍池のほとりでは、雛菊桜(ひなぎくざくら)という種類の桜の花を見ることができました。
3月下旬が開花期で、ソメイヨシノより一足先に見頃を迎える桜です。
東京大学の池之端門脇に「境稲荷神社」があり、神社の裏(北側)に「弁慶鏡ケ井戸」と言う井戸があります。
「銘水」・・・井戸を大切に使いましょう。と、書いてありますが飲めない様です。
歩道側から見た、竹久夢二美術館と弥生美術館の状況です。
弥生式土器発掘ゆかりの地碑
明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。
これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名(弥生町)を取り「弥生式土器」と名付けられた。
「ちいさい秋みつけた」などの童謡作詞家、サトウハチロー氏が住んでいた旧居跡が文京区弥生町にあります。
根津小学校の裏手側に「お化け階段」と云われる階段があります。
上りと下りの階段の数が変わってしまう、という噂です。
具体的には、40段あった上り階段が降りる時に数えると一段足りない39段になってしまうのです。
手すりの左右、どちら側の階段でも同じ現象がおきます。
念のため二回、階段の段数を数えながら上り降りしましたが、二回とも下り階段が一段足りません・・・。
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この後は、根津神社へ向かいました。
境内では、梅と桜の花を両方見ることができました。
夏目漱石旧居跡(猫の家)
ここには、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んでおり、この間に『我輩は猫である』を執筆し、この旧居が作品の舞台になった。と言うことです。
この後は、本郷通りの西側エリアの散策です。
石川啄木が下宿した蓋平館(がいへいかん)別館跡
「太栄館」の前に石川啄木の歌碑があります。
「東海の小島の 磯の白砂に 我泣き濡れて 蟹とたはむる」
蓋平館は、昭和10年頃大栄館と名称が変ったが、その建物は昭和29年の失火で焼けた。
今まで自分が思っていた以上に、文豪「石川啄木」は、生活面で苦労をしていたんですね。
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小説家の「樋口一葉」も生活が苦しかった様です。
家計をやりくりするために通ったという旧伊勢屋質店の土蔵です。
本日の散策ルート、約7kmくらい歩いたかな。
文京区は、多くの文人が住み、この地を舞台に数々の名作を著作し、文教の地としての厚みを一層増したと言われています。
また、この様な文人の活躍などから、文の京(みやこ)⇒文京区という区名になったと言うことです。
今日は、明治時代に活躍した文人たちに“ほんの少し”触れることができたという散策でした。