西新井大師~竹の塚の散策 [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成25年1月12日(土)
今日は、西新井大師から竹の塚までを散策してきました。
11.3kmの道のりを、約3時間かけて歩きました。
たくさん見所があって、ブログへの記録が容易じゃありません。
今回の散策ルートは、西新井大師→満願寺→猿仏塚(さるぼとけづか)→国土安穏寺(こくどあんのんじ)→栗原氷川神社→赤羽家長屋門→島根鷲神社→炎天寺→西光院→常楽寺→万福寺→竹の塚カリンロードと、寺社を主に散策しました。
①西新井大師
新入社員時代の約一年間は、ここから10分ほど離れた所に住んでおり何度か訪れているのですが、今までの記憶とは全く違っていた事に驚きです。
数十年という時間は、これほど人間の記憶を曖昧なものにするんだなぁ・・・。
かなり大きくて、歴史のある山門です。
浅草寺を思わせるような大本堂と多くの参拝者でした。
また、たくさんの屋台も出ており、縁日のような活気です。
境内の左奥には、大きな池と石橋。そして、弁天堂が建っています。
橋の欄干の文字が達筆すぎて読めずに、後で調べたら「大願成就橋」という橋の名前でした。
御朱印もいただきました。
②満願寺
たぬき塚の詳細は、不明です。
③猿仏塚
道路を挟んだ島根小学校の西側にひっそりとあります。
誤って死なせてしまった人間の赤ん坊の墓を、食事もとらずに死ぬまで守り続けた、賢い猿の悲しいお話です。
④国土安穏寺
お寺の前の歩道上で見かけた「パネル」です。
徳川将軍家の鷹狩りの様子を図案化した様です。
このお寺の境内は広く、また、見所もたくさんあります。
表から見た仁王門。
こちらは、裏側(境内の中)から見た仁王門です。
大きな「わらじ」だこと。
大きくて立派な本堂です。
第三代将軍「徳川家光公」が植えた松で、「五街道分間延絵図」に描かれているとのことです。
凄い松の木なんですね。
墓地の手前には、ユニークな小僧の石像が二体ありました。
「二宮尊徳」の様な像なのですが、ネットで調べても解りませんでした。
旧本堂で使われていた立派な「鬼瓦」です。
嶋根歌舞伎発祥公演之地
鎌倉幕府中期に日蓮宗を開いた僧の「日蓮上人」
こちらの銅像も大きいです。
鶴亀の庭
⑤栗原氷川神社
こちらの神社では、お参りのみ。
⑥赤羽家長屋門
江戸時代に名主を務めた牛込家の長屋門。
屋号を「金武(きんぶ)」と唱えていたことから、「金武屋敷の長屋門」とも呼ばれるそうです。
⑦島根鷲神社(しまね わしじんじゃ)
この神社の境内にも、見所がたくさんあります。
将軍石
島根村は徳川将軍家の鷹狩場であったため、この鷲神社にも歴代将軍が参詣に訪れていた様です。
この神社でも3代将軍の家光が松を植えたそうですが、何と枯れてしまったとか。
また、徳川吉宗が座ったという将軍石があります。
もちろん、説明書きの通りに座りましたが、昔では恐れ多くて座った日には、死罪かも?
すわり心地は、ちょっと固めです。
また、告知板の左端には、「賜 白銀十枚 六諭行儀大意」と書かれています。
この神社にあった寺子屋で、手習い教本に幕府の諸法度集が用いられているのを見て、祠官に褒美を賜ったということのようです。
境内の奥に、この様な像がありました。
本神社の御祭神の日本武尊〔やまとたけるのみこと〕の像でしょうか。
縁結びの樹〔愛染桂(あいぜん かつら)〕
重さ35トンの灯籠です。
本殿裏には高さ2mほどの富士塚もあります。
⑧炎天寺
このお寺は、江戸時代を代表する俳人の小林一茶と縁が深く、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」という俳句の通り、境内は蛙づくしなんです。
相撲を取っている蛙の後には、「蝉なく や 六月村の 炎天寺」という句碑があります。
こちら側には、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」の句碑があります。
左端で腕組みをしている蛙は、親方さんなのでしょうか?
こちらの蛙は、滝行を行なって悟りを開いているようです。
本堂の右端には、福蛙の石像があります。
横に回りこんで見てみると、子供の蛙をおんぶしています。
竹ノ塚駅近くの歩道上で見かけた、汚水マンホール蓋の図柄です。
こんな「パネル」も発見。
歩いた歩道上で蛙の図柄は、この一枚だけ。ラッキー。
他にも、違った図柄のパネルがありました。
⑨西光院
⑩常楽寺
⑪万福寺
明治九年四月、竹塚・島根・栗原村の子どもたちが学ぶ「竹嶋小学校」がこの寺に開設されたそうです。
寺子屋 竹嶋小学校跡の碑
12 竹の塚カリンロード
東武線「竹ノ塚駅」の東側にある商店街(カリンロード)の様子です。
お昼に食べたかったラーメン屋さんが、意外にも見かけませんでした。
今回の散策は、予想以上にたくさん面白いものが見られました。
今日は、西新井大師から竹の塚までを散策してきました。
11.3kmの道のりを、約3時間かけて歩きました。
たくさん見所があって、ブログへの記録が容易じゃありません。
今回の散策ルートは、西新井大師→満願寺→猿仏塚(さるぼとけづか)→国土安穏寺(こくどあんのんじ)→栗原氷川神社→赤羽家長屋門→島根鷲神社→炎天寺→西光院→常楽寺→万福寺→竹の塚カリンロードと、寺社を主に散策しました。
①西新井大師
新入社員時代の約一年間は、ここから10分ほど離れた所に住んでおり何度か訪れているのですが、今までの記憶とは全く違っていた事に驚きです。
数十年という時間は、これほど人間の記憶を曖昧なものにするんだなぁ・・・。
かなり大きくて、歴史のある山門です。
浅草寺を思わせるような大本堂と多くの参拝者でした。
また、たくさんの屋台も出ており、縁日のような活気です。
境内の左奥には、大きな池と石橋。そして、弁天堂が建っています。
橋の欄干の文字が達筆すぎて読めずに、後で調べたら「大願成就橋」という橋の名前でした。
御朱印もいただきました。
②満願寺
たぬき塚の詳細は、不明です。
③猿仏塚
道路を挟んだ島根小学校の西側にひっそりとあります。
誤って死なせてしまった人間の赤ん坊の墓を、食事もとらずに死ぬまで守り続けた、賢い猿の悲しいお話です。
④国土安穏寺
お寺の前の歩道上で見かけた「パネル」です。
徳川将軍家の鷹狩りの様子を図案化した様です。
このお寺の境内は広く、また、見所もたくさんあります。
表から見た仁王門。
こちらは、裏側(境内の中)から見た仁王門です。
大きな「わらじ」だこと。
大きくて立派な本堂です。
第三代将軍「徳川家光公」が植えた松で、「五街道分間延絵図」に描かれているとのことです。
凄い松の木なんですね。
墓地の手前には、ユニークな小僧の石像が二体ありました。
「二宮尊徳」の様な像なのですが、ネットで調べても解りませんでした。
旧本堂で使われていた立派な「鬼瓦」です。
嶋根歌舞伎発祥公演之地
鎌倉幕府中期に日蓮宗を開いた僧の「日蓮上人」
こちらの銅像も大きいです。
鶴亀の庭
⑤栗原氷川神社
こちらの神社では、お参りのみ。
⑥赤羽家長屋門
江戸時代に名主を務めた牛込家の長屋門。
屋号を「金武(きんぶ)」と唱えていたことから、「金武屋敷の長屋門」とも呼ばれるそうです。
⑦島根鷲神社(しまね わしじんじゃ)
この神社の境内にも、見所がたくさんあります。
将軍石
島根村は徳川将軍家の鷹狩場であったため、この鷲神社にも歴代将軍が参詣に訪れていた様です。
この神社でも3代将軍の家光が松を植えたそうですが、何と枯れてしまったとか。
また、徳川吉宗が座ったという将軍石があります。
もちろん、説明書きの通りに座りましたが、昔では恐れ多くて座った日には、死罪かも?
すわり心地は、ちょっと固めです。
また、告知板の左端には、「賜 白銀十枚 六諭行儀大意」と書かれています。
この神社にあった寺子屋で、手習い教本に幕府の諸法度集が用いられているのを見て、祠官に褒美を賜ったということのようです。
境内の奥に、この様な像がありました。
本神社の御祭神の日本武尊〔やまとたけるのみこと〕の像でしょうか。
縁結びの樹〔愛染桂(あいぜん かつら)〕
重さ35トンの灯籠です。
本殿裏には高さ2mほどの富士塚もあります。
⑧炎天寺
このお寺は、江戸時代を代表する俳人の小林一茶と縁が深く、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」という俳句の通り、境内は蛙づくしなんです。
相撲を取っている蛙の後には、「蝉なく や 六月村の 炎天寺」という句碑があります。
こちら側には、「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」の句碑があります。
左端で腕組みをしている蛙は、親方さんなのでしょうか?
こちらの蛙は、滝行を行なって悟りを開いているようです。
本堂の右端には、福蛙の石像があります。
横に回りこんで見てみると、子供の蛙をおんぶしています。
竹ノ塚駅近くの歩道上で見かけた、汚水マンホール蓋の図柄です。
こんな「パネル」も発見。
歩いた歩道上で蛙の図柄は、この一枚だけ。ラッキー。
他にも、違った図柄のパネルがありました。
⑨西光院
⑩常楽寺
⑪万福寺
明治九年四月、竹塚・島根・栗原村の子どもたちが学ぶ「竹嶋小学校」がこの寺に開設されたそうです。
寺子屋 竹嶋小学校跡の碑
12 竹の塚カリンロード
東武線「竹ノ塚駅」の東側にある商店街(カリンロード)の様子です。
お昼に食べたかったラーメン屋さんが、意外にも見かけませんでした。
今回の散策は、予想以上にたくさん面白いものが見られました。
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