樋口一葉(たけくらべ)散策記 [いい日旅立ち(散策)]
平成25年2月11日(月)
今日は、樋口一葉の代表作品である「たけくらべ」に、ゆかりのある地を散策してきました。
樋口一葉は、現在の五千円紙幣の肖像にもなっている、身近で有名な小説家なのです。
本日の散策ルート。
(浄閑寺[じょうかんじ])
別名、投込寺(なげこみでら)と呼ばれています。
吉原遊廓で死んだ25,000人もの遊女が、この寺に投込まれるように埋葬されたことから、この様に呼ばれたそうです。
(千束稲荷神社)
「たけくらべ」では、夏祭りをきっかけに物語が展開します。
境内には樋口一葉の文学碑があります。
(樋口一葉旧居跡)
現在の台東区竜泉3丁目になります。
明治26年(21才)から明治27年(22才)の10ヶ月間、この地に住んでいたそうです。
(飛不動)
1530年の創建と言われており、一葉の旧居跡からは、とても近い位置にあります。
最近では、航空安全の守護神として有名になり、飛行機形のお守りが売られています。
また、ゴルフの守りも売っていました。(ゴルフボールが、より飛ぶ様にとのこと)
不動様が右手に持つ、倶利伽羅不動(くりからふどう)という、剣でしょうか?
(一葉記念館)
「たけくらべ」の舞台となった台東区の竜泉に記念館は、建てられました。
また、一葉記念館の前にある「一葉記念公園」内には、「たけくらべ」の記念碑が置かれています。
記念館に入って、展示されている資料を色々と見学しました。
下の画像は、下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)に住んでいた時の模型です。
作品「たけくらべ」は、明治28年(1895年)から翌年まで「文学界」に断続的に連載されていたとのことです。
また、「たけくらべ」等の名作は、この竜泉から文京区(西片)へ転居してから生まれた作品とのことです。
医者嫌いの一葉は、時すでに遅く、結核のため24歳という若さで生涯を閉じました。(文京区西片が終焉の地)
「たけくらべ」で登場する、美登利と信如(のぶゆき)の模型。
(鷲神社)
この境内にも、文学碑があります。
(大音寺)
「たけくらべ」の竜華寺のモデルと言われているとのことです。
(吉原神社)
吉原の花魁(おいらん)[吉原遊廓の遊女で位の高い者]も、参拝したという神社。
(吉原弁財天)
吉原神社から少し離れた場所にあります。
関東大震災の際に、逃げ場を失った吉原の遊女たちが、炎と煙に追われながらこの弁天池に殺到し、次々と飛び込んでは、折り重なるように溺れて490名の人が溺死してしまいました。
その供養のために建てられた「供養塔」。
現在は、小さな池になっていますが、池の上の方には、不動明王が置かれています。
こちらは、板に描かれた不動明王で、池の横に立てられています。
弁天堂の窓枠越しに弁財天を見ることができます。
(朝日弁財天)
弁天池
何故か、この辺の弁天池には、悲しい歴史があります。
(三島神社)
「たけくらべ」の作品には、この三島神社の横の道を歩いたという、場面があったようです。
境内には、火除稲荷(火難除け)や、井戸に落ちた雷を閉じ込めたという逸話の「雷井戸」が、あります。
(小野照崎神社)
「たけくらべ」の作品には、「小野照さま」の名で出ています。
ところで、「男はつらいよ」の渥美清さん。
無名時代に、この神社に訪れて“仕事を下さい”と願をかけた翌日に主演になったという、パワースポットで有名な神社なんだそうです。
ちなみに、小野照崎神社は、学問・芸能の神様です。
富士塚がありますが、決まった日(6月30日と7月1日)に、開放されます。
(入谷鬼子母神[真源寺])
朝顔まつりで有名な地です。
この辺りも、「たけくらべ」の舞台の範囲です。
(浅草寺)
散策の最後は、浅草寺の弁天堂脇にある「時の鐘」を見ました。
時の鐘は、 明治になって廃止されたとのことです。
今日は、2箇所で御朱印をいただきました。
目黄不動尊の御朱印がもらえなかったのが、残念。
(永久寺[目黄不動尊])
朝9時に訪れましたが、門扉は閉ざされており、呼び鈴も無いため、参拝と御朱印は断念。
今日は、樋口一葉の代表作品である「たけくらべ」に、ゆかりのある地を散策してきました。
樋口一葉は、現在の五千円紙幣の肖像にもなっている、身近で有名な小説家なのです。
本日の散策ルート。
(浄閑寺[じょうかんじ])
別名、投込寺(なげこみでら)と呼ばれています。
吉原遊廓で死んだ25,000人もの遊女が、この寺に投込まれるように埋葬されたことから、この様に呼ばれたそうです。
(千束稲荷神社)
「たけくらべ」では、夏祭りをきっかけに物語が展開します。
境内には樋口一葉の文学碑があります。
(樋口一葉旧居跡)
現在の台東区竜泉3丁目になります。
明治26年(21才)から明治27年(22才)の10ヶ月間、この地に住んでいたそうです。
(飛不動)
1530年の創建と言われており、一葉の旧居跡からは、とても近い位置にあります。
最近では、航空安全の守護神として有名になり、飛行機形のお守りが売られています。
また、ゴルフの守りも売っていました。(ゴルフボールが、より飛ぶ様にとのこと)
不動様が右手に持つ、倶利伽羅不動(くりからふどう)という、剣でしょうか?
(一葉記念館)
「たけくらべ」の舞台となった台東区の竜泉に記念館は、建てられました。
また、一葉記念館の前にある「一葉記念公園」内には、「たけくらべ」の記念碑が置かれています。
記念館に入って、展示されている資料を色々と見学しました。
下の画像は、下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)に住んでいた時の模型です。
作品「たけくらべ」は、明治28年(1895年)から翌年まで「文学界」に断続的に連載されていたとのことです。
また、「たけくらべ」等の名作は、この竜泉から文京区(西片)へ転居してから生まれた作品とのことです。
医者嫌いの一葉は、時すでに遅く、結核のため24歳という若さで生涯を閉じました。(文京区西片が終焉の地)
「たけくらべ」で登場する、美登利と信如(のぶゆき)の模型。
(鷲神社)
この境内にも、文学碑があります。
(大音寺)
「たけくらべ」の竜華寺のモデルと言われているとのことです。
(吉原神社)
吉原の花魁(おいらん)[吉原遊廓の遊女で位の高い者]も、参拝したという神社。
(吉原弁財天)
吉原神社から少し離れた場所にあります。
関東大震災の際に、逃げ場を失った吉原の遊女たちが、炎と煙に追われながらこの弁天池に殺到し、次々と飛び込んでは、折り重なるように溺れて490名の人が溺死してしまいました。
その供養のために建てられた「供養塔」。
現在は、小さな池になっていますが、池の上の方には、不動明王が置かれています。
こちらは、板に描かれた不動明王で、池の横に立てられています。
弁天堂の窓枠越しに弁財天を見ることができます。
(朝日弁財天)
弁天池
何故か、この辺の弁天池には、悲しい歴史があります。
(三島神社)
「たけくらべ」の作品には、この三島神社の横の道を歩いたという、場面があったようです。
境内には、火除稲荷(火難除け)や、井戸に落ちた雷を閉じ込めたという逸話の「雷井戸」が、あります。
(小野照崎神社)
「たけくらべ」の作品には、「小野照さま」の名で出ています。
ところで、「男はつらいよ」の渥美清さん。
無名時代に、この神社に訪れて“仕事を下さい”と願をかけた翌日に主演になったという、パワースポットで有名な神社なんだそうです。
ちなみに、小野照崎神社は、学問・芸能の神様です。
富士塚がありますが、決まった日(6月30日と7月1日)に、開放されます。
(入谷鬼子母神[真源寺])
朝顔まつりで有名な地です。
この辺りも、「たけくらべ」の舞台の範囲です。
(浅草寺)
散策の最後は、浅草寺の弁天堂脇にある「時の鐘」を見ました。
時の鐘は、 明治になって廃止されたとのことです。
今日は、2箇所で御朱印をいただきました。
目黄不動尊の御朱印がもらえなかったのが、残念。
(永久寺[目黄不動尊])
朝9時に訪れましたが、門扉は閉ざされており、呼び鈴も無いため、参拝と御朱印は断念。
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