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世田谷区内の散策(松陰神社~豪徳寺~世田谷城阯公園編) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]

平成25年2月23日(土) [晴れ]


青目不動尊で参拝を終えた後は、松蔭神社、そして豪徳寺へと散策を続けました。



【松蔭神社】



(鳥居)



松陰神社(鳥居).jpg


(松下村塾[しょうかそんじゅく])



松下村塾(講義室).jpg



(吉田松陰の墓と烈士墓所)



木戸孝允(桂小五郎)寄進の鳥居の正面に見えるのが、吉田松陰の墓です。

江戸幕府によって、墓が破壊されたりと、大変な目に遭っていたようです。



松陰神社(木戸孝允寄進の鳥居).jpg



松陰神社(吉田松陰先生他烈士墓所).jpg



松陰神社(吉田松陰の墓).jpg



(石灯籠)


神社の境内に立ち並ぶ32基の石灯籠は、吉田松陰の門下生が、奉献したものだそうです。

それにしても、すごい数(門下生)と言うのか、改めて吉田松陰先生の偉大さを感じます。



松陰神社(石灯籠).jpg



松陰神社(梅の木).jpg



【豪徳寺】



(烏山川緑道・品川橋付近)



豪徳寺へ向う途中で見かけた、いくつかの“招き猫の石像”。

疑問に感じていましたが、豪徳寺に到着して境内を散策していくうちに謎は解けました。



烏山川緑道、招き猫、品川橋付近.jpg



(豪徳寺・表参道)



豪徳寺.jpg



(豪徳寺・本堂)



彦根藩主の井伊直孝が、猫の手招きで豪徳寺の門内に入ったことから、雷雨を避けられて、和尚の法談も聞くことができたことを大変喜び、後に井伊家の菩提所にした、ということです。

また、このお寺を“招き猫の発祥の地”とする説があるようです。

さらに、彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」のモデルは、ここ豪徳寺の招福猫児(まねぎねこ)だったのです。

ところで、招き猫の発祥地と信じていた台東区浅草の今戸神社は、どうなるんでしょう。

豪徳寺は、招き猫専用の招福殿まで、建てているし…、どう見ても…。



豪徳寺(本堂).jpg



(三重塔)

とても立派な三重塔です。

春は桜、秋は紅葉。広い境内は、四季を通じて見応えがありそうです。



豪徳寺(三重塔).jpg



塔の鴨居には、井伊家が豪徳寺を菩提所としたきっかけの招き猫が彫られています。



豪徳寺(三重塔・招き猫).jpg



それ以外に、牛、イノシシ。



豪徳寺(三重塔・牛).jpg



豪徳寺(三重塔・猪).jpg



他に、ビックリマンシールに描かれているようなキャラがいます。



豪徳寺(三重塔・?1).jpg



豪徳寺(三重塔・?2).jpg



(招福殿)



招猫観音(招福観世音菩薩)を祀る「招猫殿」です。

招福猫児[まねぎねこ]は、招福観世音菩薩の従者的な位置付けで、祀られている様です。

こんなに大きいのに、本殿ではありません。

井伊直孝は、これほどまでに招き猫に思い入れがあったんですね。



豪徳寺(招福殿).jpg



招福殿の横には、こんなに招き猫の置物(奉納)が。



豪徳寺(招福殿・招き猫).jpg



(鐘楼)



豪徳寺(梵鐘).jpg



(井伊直弼の墓と説明書き)



豪徳寺(井伊直弼の墓).jpg



豪徳寺(井伊直弼の墓・説明書き).jpg



(受付所)



受付所の前にも、招き猫のキャラが…。



豪徳寺(受付).jpg



【世田谷城阯公園】



世田谷城阯公園(土塁).jpg



【御朱印】



安政の大獄(幕府の弾圧)で、敵対関係にあった、松蔭神社(吉田松陰)と豪徳寺(井伊直弼)の御朱印。

隣り合わせは、まずかったかなぁ。



御朱印.jpg



井伊直弼は、日米修好通商条約を強引に調印したことでも、悪者扱いになっていますが、開国への道を選択しなければ、外国の植民地になっていたかも知れない。と言う、好評価の説もあるようです。



歴史に影響する人たちの関わりを紐解くのは、難解です。

もし、あの人がこの人に遭っていなければ…。






この後は、内容がガラッと変わり、ウルトラマン商店街(祖師ヶ谷)の散策記です。

シュワッチ。






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