散策ウォーキング(左衛門橋~吾妻橋) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年10月3日(土) 晴れ
暑い夏がやっと終わり、少し涼しい季節になりました。
今まで中断をしていた散策ウォーキングも少しずつ再開できれば、ということで今日は台東区内をウォーキングしてきました。
今回のウォーキングで参考にしたマップは、台東区のホームページから入手した“橋めぐりコース”です。
JR浅草橋駅をスタートし、吾妻橋に到着した後は、浅草寺周辺を散策しました。
(左衛門橋)
神田川に架かる左衛門橋からは、多くの繋留した屋形船を見ることができます。
(郡代屋敷[ぐんだいやしき]跡)
徴税・司法・軍事等の職務を担当していた地方行政官の様な、“お代官様”が住んでいた屋敷跡なのだそうです。
(浅草橋からの眺め)
先ほどの左衛門橋から神田川の一つ下流側に架かっている浅草橋から眺めた様子で、「浅草橋」は地名にもなっています。
また、日本橋と浅草を結んでいたことから「浅草橋」という橋の名前になったとのことです。
(浅草見附跡)
見附とは、城門を警護する番兵が通行人を見張っていた場所のことなのだそうです。
この「浅草橋」は、五街道の日光・奥州街道の橋として非常に往来の多い橋梁であったため、見附があったんですね。
現在でも浅草橋を通る道路は、国道6号として交通量が多い道路になっています。
また、江戸市中には、この様な場所が三十六ヶ所もあったそうです。
地名や駅名にもなっている「赤坂見附」もその一つなんです。
そして、見附は、“見つける”や“見付ける”、“見附る”という言葉からきてるんです。
(神田川)
神田川の最下流に架かっている「柳橋」を目指して、川沿いの細い道を歩いていきます。
季節は、もう秋。赤トンボがたくさん飛んでいました。
「柳橋」にもたくさんの由緒がある様ですが、橋の欄干の部分に「かんざし」が施されているのが最大の特徴です。
江戸時代には奥州街道の旅館街として神田川対岸の両国(現在の東日本橋周辺)と共に、江戸最大の繁華街として賑わっていた様です。
芸妓が移住し花街が形成され栄えたことから、芸者のシンボルマークである「かんざし」が橋の欄干に施されているんですね。
ウォーキングコースは、神田川沿いの道から隅田川テラスへと移ります。
先ほどの「柳橋」から近いこともあり、隅田川テラスのフェンスのデザインは、柳の木と屋形船になっています。
他にも相撲の決まり手や色々なものがデザイン化されており、このフェンス模様を見て歩くだけでも楽しいです。
両国橋から蔵前橋区間のテラスはいつも墨田区側を歩いているので、台東区側を歩くのは今回が初めてです。
そのため、いくつか新たな発見をしました。
その一つが、この赤色の橋の欄干ですが、設置された経緯や詳細については不明です。
そして、防潮壁が「なまこ壁」と言われる土蔵の壁塗りに見立てたものを発見しました。
どうやら、この「家紋の掲示」と関係がありそうです。
こちらは、「家紋の掲示」の一部で、上杉景勝の家紋です。
灯籠の様なものも置かれており、いい感じです。
秋空に変わり、綺麗な黄色い蔵前橋とスカイツリー。
次も初めて目にする「首尾の松」で、蔵前橋のたもとに植えられています。
何度か枯れたりなどして植え替えられて、現在は七代目の松とのことです。
再び隅田川テラスに戻り、厩橋(うまやばし)で発見したものは…。
橋に施された色々な馬のデザインでした。
最も印象的だったのが、橋柱を飾るガラス細工の馬のデザインでした。
隅田川に架かる橋の中で地味な橋だと感じていましたが、とてもオシャレな橋だったんですね。
次の駒形橋に向かう途中でも初めて目にしたものが、以下の2枚です。
そして、駒形橋を写しゴールの吾妻橋へと歩いていきます。
隅田川テラスには、ススキや笹が植えられている箇所もあります。
以上で「橋めぐりコース」のウォーキングは、終了です。
この後は、浅草寺周辺を何箇所か散策しました。
地下鉄銀座線の浅草地下街を散策、時代の古さを感じます。
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久しぶりの散策ウォーキングで歩いた歩数は約12,500歩、そして、いくつか新たな発見ができたコースでした。
暑い夏がやっと終わり、少し涼しい季節になりました。
今まで中断をしていた散策ウォーキングも少しずつ再開できれば、ということで今日は台東区内をウォーキングしてきました。
今回のウォーキングで参考にしたマップは、台東区のホームページから入手した“橋めぐりコース”です。
JR浅草橋駅をスタートし、吾妻橋に到着した後は、浅草寺周辺を散策しました。
(左衛門橋)
神田川に架かる左衛門橋からは、多くの繋留した屋形船を見ることができます。
(郡代屋敷[ぐんだいやしき]跡)
徴税・司法・軍事等の職務を担当していた地方行政官の様な、“お代官様”が住んでいた屋敷跡なのだそうです。
(浅草橋からの眺め)
先ほどの左衛門橋から神田川の一つ下流側に架かっている浅草橋から眺めた様子で、「浅草橋」は地名にもなっています。
また、日本橋と浅草を結んでいたことから「浅草橋」という橋の名前になったとのことです。
(浅草見附跡)
見附とは、城門を警護する番兵が通行人を見張っていた場所のことなのだそうです。
この「浅草橋」は、五街道の日光・奥州街道の橋として非常に往来の多い橋梁であったため、見附があったんですね。
現在でも浅草橋を通る道路は、国道6号として交通量が多い道路になっています。
また、江戸市中には、この様な場所が三十六ヶ所もあったそうです。
地名や駅名にもなっている「赤坂見附」もその一つなんです。
そして、見附は、“見つける”や“見付ける”、“見附る”という言葉からきてるんです。
(神田川)
神田川の最下流に架かっている「柳橋」を目指して、川沿いの細い道を歩いていきます。
季節は、もう秋。赤トンボがたくさん飛んでいました。
「柳橋」にもたくさんの由緒がある様ですが、橋の欄干の部分に「かんざし」が施されているのが最大の特徴です。
江戸時代には奥州街道の旅館街として神田川対岸の両国(現在の東日本橋周辺)と共に、江戸最大の繁華街として賑わっていた様です。
芸妓が移住し花街が形成され栄えたことから、芸者のシンボルマークである「かんざし」が橋の欄干に施されているんですね。
ウォーキングコースは、神田川沿いの道から隅田川テラスへと移ります。
先ほどの「柳橋」から近いこともあり、隅田川テラスのフェンスのデザインは、柳の木と屋形船になっています。
他にも相撲の決まり手や色々なものがデザイン化されており、このフェンス模様を見て歩くだけでも楽しいです。
両国橋から蔵前橋区間のテラスはいつも墨田区側を歩いているので、台東区側を歩くのは今回が初めてです。
そのため、いくつか新たな発見をしました。
その一つが、この赤色の橋の欄干ですが、設置された経緯や詳細については不明です。
そして、防潮壁が「なまこ壁」と言われる土蔵の壁塗りに見立てたものを発見しました。
どうやら、この「家紋の掲示」と関係がありそうです。
こちらは、「家紋の掲示」の一部で、上杉景勝の家紋です。
灯籠の様なものも置かれており、いい感じです。
秋空に変わり、綺麗な黄色い蔵前橋とスカイツリー。
次も初めて目にする「首尾の松」で、蔵前橋のたもとに植えられています。
何度か枯れたりなどして植え替えられて、現在は七代目の松とのことです。
再び隅田川テラスに戻り、厩橋(うまやばし)で発見したものは…。
橋に施された色々な馬のデザインでした。
最も印象的だったのが、橋柱を飾るガラス細工の馬のデザインでした。
隅田川に架かる橋の中で地味な橋だと感じていましたが、とてもオシャレな橋だったんですね。
次の駒形橋に向かう途中でも初めて目にしたものが、以下の2枚です。
そして、駒形橋を写しゴールの吾妻橋へと歩いていきます。
隅田川テラスには、ススキや笹が植えられている箇所もあります。
以上で「橋めぐりコース」のウォーキングは、終了です。
この後は、浅草寺周辺を何箇所か散策しました。
地下鉄銀座線の浅草地下街を散策、時代の古さを感じます。
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久しぶりの散策ウォーキングで歩いた歩数は約12,500歩、そして、いくつか新たな発見ができたコースでした。