旧中川の河津桜と鳥たち [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年2月28日(土)
今日の散歩道は、久しぶりに旧中川に架かる「ふれあい橋」、そして「亀戸中央公園」へとウォーキングをしてきました。
「ふれあい橋」近くの土手沿いには、毎年綺麗な河津桜が咲きます。
満開の時期に、青空とスカイツリーを背景に見る河津桜は、とても綺麗なんです。
今日の開花状況は、三分咲きぐらいと言ったところでしょうか。
河津桜の木にはメジロやヒヨドリたちが、花の蜜を吸いにたくさん集まっていました。
「亀戸中央公園」の梅は満開と思いきや、遅咲きの種類なのかまだまだの様でした。
今日の散歩道は、久しぶりに旧中川に架かる「ふれあい橋」、そして「亀戸中央公園」へとウォーキングをしてきました。
「ふれあい橋」近くの土手沿いには、毎年綺麗な河津桜が咲きます。
満開の時期に、青空とスカイツリーを背景に見る河津桜は、とても綺麗なんです。
今日の開花状況は、三分咲きぐらいと言ったところでしょうか。
河津桜の木にはメジロやヒヨドリたちが、花の蜜を吸いにたくさん集まっていました。
「亀戸中央公園」の梅は満開と思いきや、遅咲きの種類なのかまだまだの様でした。
浅草から隅田公園、そしてスカイツリーへ(梅と桜のプチ花見) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
中野区散策記(新井薬師~哲学堂公園) [いい日、旅立ち(ウォーキング)]
平成27年2月21日(土)
今回のウォーキングは、ちょっと距離を伸ばして6~7kmほど歩いてきました。
少しブランクの期間があったため、靴擦れがして足がちょっと痛くなってしまいました。
今日の散策は、JR中野駅をスタート地点に北側のエリアをウォーキングしました。
最初は中野区上高田3丁目にある、童謡「たきび」の歌詞に出てくる“垣根の曲がり角”を見てから、新井薬師でお参りをして、哲学堂公園へと歩いて行きました。
【「たきび」のうた発祥の地】
かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ…♫
童謡「たきび」という曲名に歌われた垣根が実在していたんですね。
家の周りは、この様な竹製の垣根でぐるっと囲まれていました。
そして、こちらが歌詞に出てくる曲がり角です。
毎年12月には焼き芋の会が催されるそうです。
【新井薬師】
西武新宿線の「新井薬師前」という駅名でも知られるこの寺院は、中野区においては最大、また都内でもとても著名な寺院です。
境内には、「プリンセス 雅」という新種の桜の木が植樹されています。
桜の木の名前は、説明書きの通り皇太子妃の雅子様に由来しているとのことです。
新種の桜ということですが、どの様な花が咲くのでしょうか?
新井薬師に隣接した「新井薬師公園」内には、十六才の時の聖徳太子像が建っています。
お参りをした後は、御朱印を頂きました。
久しぶりに御朱印帳を更新することができました。
【哲学堂公園】
新井薬師から中野通りを1kmほど北に歩いて行くと、哲学堂公園(東京都名勝公園に指定)があります。
公園の入口には「哲学堂の梅林」があり、ちょうど満開の梅を見ることができました。
公園奥の「哲学の庭」には、宗教・哲学・法を代表する11人の銅像を見ることができます。
(第二の輪)
ガンジー、達磨大師(だるまたいし)、聖フランシスの3体が建っています。
(第一の輪)
老子(ろうし)、キリスト、釈迦(しゃか)、アブラハム、エクナトンの5体が建っています。
手前のアブラハムは、地面に額を付けた姿になっています。
(第三の輪)
聖徳太子、ユスチニアヌス、ハムラビの3体が建っています。
人物の詳細は、下記の公式ホームページを参照して下さい。
http://www.tetsugakudo.jp/tetsugakunoniwa.htm
「哲学の庭」から妙正寺川を挟んだ先に見える花壇には、“草文字”で“物”という文字が読み取れます。
物字壇(ぶつじだん)と、言うんだそうです。
妙正寺川を挟んだ向こう側の公園部は、現在改修の工事中で入れませんでした。
帰り道は、JR中野駅の近くにある「中野ブロードウェイ」に立ち寄りましたが、面白そうなコレクター系やフィギュア系のショップは12:00〜20:00の営業 が多く、まだ開いていませんでした。
今日は天気も良く、暖かい陽射しが差していました。
自宅のミニ盆栽の梅(昭楽)は、未だに蕾が見えないので少し不安です。
今回のウォーキングは、ちょっと距離を伸ばして6~7kmほど歩いてきました。
少しブランクの期間があったため、靴擦れがして足がちょっと痛くなってしまいました。
今日の散策は、JR中野駅をスタート地点に北側のエリアをウォーキングしました。
最初は中野区上高田3丁目にある、童謡「たきび」の歌詞に出てくる“垣根の曲がり角”を見てから、新井薬師でお参りをして、哲学堂公園へと歩いて行きました。
【「たきび」のうた発祥の地】
かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ…♫
童謡「たきび」という曲名に歌われた垣根が実在していたんですね。
家の周りは、この様な竹製の垣根でぐるっと囲まれていました。
そして、こちらが歌詞に出てくる曲がり角です。
毎年12月には焼き芋の会が催されるそうです。
【新井薬師】
西武新宿線の「新井薬師前」という駅名でも知られるこの寺院は、中野区においては最大、また都内でもとても著名な寺院です。
境内には、「プリンセス 雅」という新種の桜の木が植樹されています。
桜の木の名前は、説明書きの通り皇太子妃の雅子様に由来しているとのことです。
新種の桜ということですが、どの様な花が咲くのでしょうか?
新井薬師に隣接した「新井薬師公園」内には、十六才の時の聖徳太子像が建っています。
お参りをした後は、御朱印を頂きました。
久しぶりに御朱印帳を更新することができました。
【哲学堂公園】
新井薬師から中野通りを1kmほど北に歩いて行くと、哲学堂公園(東京都名勝公園に指定)があります。
公園の入口には「哲学堂の梅林」があり、ちょうど満開の梅を見ることができました。
公園奥の「哲学の庭」には、宗教・哲学・法を代表する11人の銅像を見ることができます。
(第二の輪)
ガンジー、達磨大師(だるまたいし)、聖フランシスの3体が建っています。
(第一の輪)
老子(ろうし)、キリスト、釈迦(しゃか)、アブラハム、エクナトンの5体が建っています。
手前のアブラハムは、地面に額を付けた姿になっています。
(第三の輪)
聖徳太子、ユスチニアヌス、ハムラビの3体が建っています。
人物の詳細は、下記の公式ホームページを参照して下さい。
http://www.tetsugakudo.jp/tetsugakunoniwa.htm
「哲学の庭」から妙正寺川を挟んだ先に見える花壇には、“草文字”で“物”という文字が読み取れます。
物字壇(ぶつじだん)と、言うんだそうです。
妙正寺川を挟んだ向こう側の公園部は、現在改修の工事中で入れませんでした。
帰り道は、JR中野駅の近くにある「中野ブロードウェイ」に立ち寄りましたが、面白そうなコレクター系やフィギュア系のショップは12:00〜20:00の営業 が多く、まだ開いていませんでした。
今日は天気も良く、暖かい陽射しが差していました。
自宅のミニ盆栽の梅(昭楽)は、未だに蕾が見えないので少し不安です。
影向のマツ [いい日、旅立ち(寺社巡り)]
平成27年2月14日(土)
今日は、とても久しぶりの散策です。
今日の行き先は、江戸川区東小岩にある善養寺(ぜんようじ)へ、影向(ようごう)のマツを見に行ってきました。
JR総武線の小岩駅から歩いて約20分程度です。
外の空気はとても冷たい、でも歩いていると体が少しづつ温まります。
・
・
・
さて、影向のマツは国指定の天然記念物ですが、「日本名松番付 東の横綱」と呼ばれているそうです。
この様な呼び方を含めて、実はこのお寺は大相撲と縁が深いんです。
それは、後ほどにして…。
高さ8m、樹齢600年以上と言われている「影向のマツ」は、ワンフレーム内にはとても収まりきれません。
一段高い見晴台から、“枝張りの全景がやっと確認できるかな”という、かなりの大きさでした。
香川県にある「岡野マツ」と日本一をかけて争いましたが、、大相撲立行司の木村庄之助が仲裁に入り、優劣がつかず「どちらも日本一につき、双方引き分け」と裁いたそうです。
また、地元小岩の出身で、当時日本相撲協会の理事長を務めていた春日野親方も「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを後押しし、二人の計らいによって「日本一のマツ争い」は無事に解決を見たそうです。
その後、この影向(ようごう)のマツに春日野親方は、「日本名松番付横綱推挙状」のプレートを贈呈し、影向のマツは“東の横綱”になったんですね。
・
・
・
また、この様なエピソードも…
その昔、このお寺に忍び込んで不動明王像を盗もうとした男が、像を抱えて逃げようとしたとき、石に足が張りついたために動けなくなってしまった、と云われている「影向の石」です。
翌朝になって男は捕まり、像も無事だった。今でも石の上に人の足型のような窪みが見受けられるとか。
仁王門の両側には阿吽の像がありますが、その裏側には栃錦の銅像と「寄贈 春日野清隆」と書かれた大横綱が飾られています。
その第44代横綱栃錦清隆(1925年2月20日~1990年1月10日)は、この地が出身だということです。
裏側の写真が上手く撮れなかったので、正面からの画像だけになってしまいました。
そして、JR小岩駅構内には、その懐かしき栃錦の像が置いてあります。
星降りマツ(ほしくだりマツ)
星の精霊がこのマツの梢に降り立ち・・・、いつのころからか赤と黄の石は紛失して青い石のみが残った。
とても幻想的な言い伝えのある松なんですね。
しかし、その星降りマツは昭和15年に枯れてしまったため、その後2代目が植えられたそうです。
これも大相撲に関連した「式守伊三郎報恩碑」です。
この碑には、七十二首の「報恩軍配物語和讃(ほうおん-ぐんぱいものがたり-わさん)」というものが刻まれていました。
そして、第一首には「人は誰しも独りにて 生きてゆく事は叶うまじ」と、言う首が刻まれていました。
心が洗われる思いです。
ちなみに、この碑全文のコピーは寺務所でいただけます。
弘法大師像と鐘楼
六角形の建物は、密厳宝塔(みつげんほうとう)と言う、お経の蔵なのだそうです。
綺麗に開花した梅、頑張ってまた少しづつ歩き出そう。
今日は、とても久しぶりの散策です。
今日の行き先は、江戸川区東小岩にある善養寺(ぜんようじ)へ、影向(ようごう)のマツを見に行ってきました。
JR総武線の小岩駅から歩いて約20分程度です。
外の空気はとても冷たい、でも歩いていると体が少しづつ温まります。
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さて、影向のマツは国指定の天然記念物ですが、「日本名松番付 東の横綱」と呼ばれているそうです。
この様な呼び方を含めて、実はこのお寺は大相撲と縁が深いんです。
それは、後ほどにして…。
高さ8m、樹齢600年以上と言われている「影向のマツ」は、ワンフレーム内にはとても収まりきれません。
一段高い見晴台から、“枝張りの全景がやっと確認できるかな”という、かなりの大きさでした。
香川県にある「岡野マツ」と日本一をかけて争いましたが、、大相撲立行司の木村庄之助が仲裁に入り、優劣がつかず「どちらも日本一につき、双方引き分け」と裁いたそうです。
また、地元小岩の出身で、当時日本相撲協会の理事長を務めていた春日野親方も「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを後押しし、二人の計らいによって「日本一のマツ争い」は無事に解決を見たそうです。
その後、この影向(ようごう)のマツに春日野親方は、「日本名松番付横綱推挙状」のプレートを贈呈し、影向のマツは“東の横綱”になったんですね。
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また、この様なエピソードも…
その昔、このお寺に忍び込んで不動明王像を盗もうとした男が、像を抱えて逃げようとしたとき、石に足が張りついたために動けなくなってしまった、と云われている「影向の石」です。
翌朝になって男は捕まり、像も無事だった。今でも石の上に人の足型のような窪みが見受けられるとか。
仁王門の両側には阿吽の像がありますが、その裏側には栃錦の銅像と「寄贈 春日野清隆」と書かれた大横綱が飾られています。
その第44代横綱栃錦清隆(1925年2月20日~1990年1月10日)は、この地が出身だということです。
裏側の写真が上手く撮れなかったので、正面からの画像だけになってしまいました。
そして、JR小岩駅構内には、その懐かしき栃錦の像が置いてあります。
星降りマツ(ほしくだりマツ)
星の精霊がこのマツの梢に降り立ち・・・、いつのころからか赤と黄の石は紛失して青い石のみが残った。
とても幻想的な言い伝えのある松なんですね。
しかし、その星降りマツは昭和15年に枯れてしまったため、その後2代目が植えられたそうです。
これも大相撲に関連した「式守伊三郎報恩碑」です。
この碑には、七十二首の「報恩軍配物語和讃(ほうおん-ぐんぱいものがたり-わさん)」というものが刻まれていました。
そして、第一首には「人は誰しも独りにて 生きてゆく事は叶うまじ」と、言う首が刻まれていました。
心が洗われる思いです。
ちなみに、この碑全文のコピーは寺務所でいただけます。
弘法大師像と鐘楼
六角形の建物は、密厳宝塔(みつげんほうとう)と言う、お経の蔵なのだそうです。
綺麗に開花した梅、頑張ってまた少しづつ歩き出そう。