影向のマツ [いい日、旅立ち(寺社巡り)]
平成27年2月14日(土)
今日は、とても久しぶりの散策です。
今日の行き先は、江戸川区東小岩にある善養寺(ぜんようじ)へ、影向(ようごう)のマツを見に行ってきました。
JR総武線の小岩駅から歩いて約20分程度です。
外の空気はとても冷たい、でも歩いていると体が少しづつ温まります。
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さて、影向のマツは国指定の天然記念物ですが、「日本名松番付 東の横綱」と呼ばれているそうです。
この様な呼び方を含めて、実はこのお寺は大相撲と縁が深いんです。
それは、後ほどにして…。
高さ8m、樹齢600年以上と言われている「影向のマツ」は、ワンフレーム内にはとても収まりきれません。
一段高い見晴台から、“枝張りの全景がやっと確認できるかな”という、かなりの大きさでした。
香川県にある「岡野マツ」と日本一をかけて争いましたが、、大相撲立行司の木村庄之助が仲裁に入り、優劣がつかず「どちらも日本一につき、双方引き分け」と裁いたそうです。
また、地元小岩の出身で、当時日本相撲協会の理事長を務めていた春日野親方も「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを後押しし、二人の計らいによって「日本一のマツ争い」は無事に解決を見たそうです。
その後、この影向(ようごう)のマツに春日野親方は、「日本名松番付横綱推挙状」のプレートを贈呈し、影向のマツは“東の横綱”になったんですね。
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また、この様なエピソードも…
その昔、このお寺に忍び込んで不動明王像を盗もうとした男が、像を抱えて逃げようとしたとき、石に足が張りついたために動けなくなってしまった、と云われている「影向の石」です。
翌朝になって男は捕まり、像も無事だった。今でも石の上に人の足型のような窪みが見受けられるとか。
仁王門の両側には阿吽の像がありますが、その裏側には栃錦の銅像と「寄贈 春日野清隆」と書かれた大横綱が飾られています。
その第44代横綱栃錦清隆(1925年2月20日~1990年1月10日)は、この地が出身だということです。
裏側の写真が上手く撮れなかったので、正面からの画像だけになってしまいました。
そして、JR小岩駅構内には、その懐かしき栃錦の像が置いてあります。
星降りマツ(ほしくだりマツ)
星の精霊がこのマツの梢に降り立ち・・・、いつのころからか赤と黄の石は紛失して青い石のみが残った。
とても幻想的な言い伝えのある松なんですね。
しかし、その星降りマツは昭和15年に枯れてしまったため、その後2代目が植えられたそうです。
これも大相撲に関連した「式守伊三郎報恩碑」です。
この碑には、七十二首の「報恩軍配物語和讃(ほうおん-ぐんぱいものがたり-わさん)」というものが刻まれていました。
そして、第一首には「人は誰しも独りにて 生きてゆく事は叶うまじ」と、言う首が刻まれていました。
心が洗われる思いです。
ちなみに、この碑全文のコピーは寺務所でいただけます。
弘法大師像と鐘楼
六角形の建物は、密厳宝塔(みつげんほうとう)と言う、お経の蔵なのだそうです。
綺麗に開花した梅、頑張ってまた少しづつ歩き出そう。
今日は、とても久しぶりの散策です。
今日の行き先は、江戸川区東小岩にある善養寺(ぜんようじ)へ、影向(ようごう)のマツを見に行ってきました。
JR総武線の小岩駅から歩いて約20分程度です。
外の空気はとても冷たい、でも歩いていると体が少しづつ温まります。
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さて、影向のマツは国指定の天然記念物ですが、「日本名松番付 東の横綱」と呼ばれているそうです。
この様な呼び方を含めて、実はこのお寺は大相撲と縁が深いんです。
それは、後ほどにして…。
高さ8m、樹齢600年以上と言われている「影向のマツ」は、ワンフレーム内にはとても収まりきれません。
一段高い見晴台から、“枝張りの全景がやっと確認できるかな”という、かなりの大きさでした。
香川県にある「岡野マツ」と日本一をかけて争いましたが、、大相撲立行司の木村庄之助が仲裁に入り、優劣がつかず「どちらも日本一につき、双方引き分け」と裁いたそうです。
また、地元小岩の出身で、当時日本相撲協会の理事長を務めていた春日野親方も「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを後押しし、二人の計らいによって「日本一のマツ争い」は無事に解決を見たそうです。
その後、この影向(ようごう)のマツに春日野親方は、「日本名松番付横綱推挙状」のプレートを贈呈し、影向のマツは“東の横綱”になったんですね。
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また、この様なエピソードも…
その昔、このお寺に忍び込んで不動明王像を盗もうとした男が、像を抱えて逃げようとしたとき、石に足が張りついたために動けなくなってしまった、と云われている「影向の石」です。
翌朝になって男は捕まり、像も無事だった。今でも石の上に人の足型のような窪みが見受けられるとか。
仁王門の両側には阿吽の像がありますが、その裏側には栃錦の銅像と「寄贈 春日野清隆」と書かれた大横綱が飾られています。
その第44代横綱栃錦清隆(1925年2月20日~1990年1月10日)は、この地が出身だということです。
裏側の写真が上手く撮れなかったので、正面からの画像だけになってしまいました。
そして、JR小岩駅構内には、その懐かしき栃錦の像が置いてあります。
星降りマツ(ほしくだりマツ)
星の精霊がこのマツの梢に降り立ち・・・、いつのころからか赤と黄の石は紛失して青い石のみが残った。
とても幻想的な言い伝えのある松なんですね。
しかし、その星降りマツは昭和15年に枯れてしまったため、その後2代目が植えられたそうです。
これも大相撲に関連した「式守伊三郎報恩碑」です。
この碑には、七十二首の「報恩軍配物語和讃(ほうおん-ぐんぱいものがたり-わさん)」というものが刻まれていました。
そして、第一首には「人は誰しも独りにて 生きてゆく事は叶うまじ」と、言う首が刻まれていました。
心が洗われる思いです。
ちなみに、この碑全文のコピーは寺務所でいただけます。
弘法大師像と鐘楼
六角形の建物は、密厳宝塔(みつげんほうとう)と言う、お経の蔵なのだそうです。
綺麗に開花した梅、頑張ってまた少しづつ歩き出そう。
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